哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

阿含経典のおしえ


阿含経典のおしえ。

「比丘たちよ、色(肉体)があるにより、色を取するにより、また、色に執著するによって、
<こは我である、こは世間である、死後の我はかくあらん。常恒にして永住する変易なきものがある>
と、そのような見解を起こすのである。
 また、受(感覚)・・・・・、想(表象)・・・・・、行(意志)・・・・・、あるいはまた、識(意識)があるにより、識を取するにより、また、識に執著するによって、
<こは我である、こは世間である、死後の我はかくあらん。常恒にして永住する変易なきものがある>
と、そのような見解を起こすのである。
 比丘たちよ、汝らはいかに思うであろうか。色は常住であろうか、無常であろうか」
「大徳よ、無常であります」
「無常であるならば、それは、苦であろうか、楽であろうか」
「大徳よ、苦であります」
「無常にして苦なる、変わり移ろうものを、取せず、執著せずとも、なお、
<こは我である、こは世間である、死後の我はかくあらん。常恒にして永住する変易なきものがある>
と、そのような見解を起こすのであろうか」
「大徳よ、そうではございません」
「比丘たちよ、そのように観て、色において厭い離れ、受において厭い離れ、想において厭い離れ、行において厭い離れ、また識において厭い離れるがよろしい。
厭い離るれば貪りを離れる。貪りを離るれば解脱する。
解脱すれば、解脱したとの自覚が生じて、
<我が迷いの生涯は尽きた。清浄の行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。このうえは、もはや迷いの生涯を繰り返すことはあらじ>
と知るにいたるのである」

筑摩書房 阿含経典 増谷文雄訳)

 

 

 

 

 

 

 

 

色(肉体)

受(感覚)

想(表象)

行(意志)

識(意識)

に執著するによって、
<こは我である、こは世間である、死後の我はかくあらん。常恒にして永住する変易なきものがある>
と、そのような見解を起こすのである。…

 

色において厭い離れ、受において厭い離れ、想において厭い離れ、行において厭い離れ、また識において厭い離るれば貪りを離れる。貪りを離るれば解脱する。

 

 

 

 圧倒的多数の人々には、この至高にして究極の真理がチンプンカンプンだ。

苦である五蘊を、生まれた瞬間から今までずっと大大好きで夢中過ぎるので、いくら聞いても聴けず、いくら見ても視えないからだ。

 

 

 

 

 しかし、スマナサーラ長老の平易で大胆で画期的な説法

神への祈りは「存在欲」から生まれる『スッタニパータ…

を本気で学べば、あるいは目からうろこが落ちて理解できるかもしれないとおもいます。

 

心からお勧めします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おまけ)

J・ ガイルズ・バンド。
「墜ちた天使」

 

 

 

 

 

サミー・デイヴィス・ジュニア。
「陽気なキャンディ・マン」

 

 

 

 

 

 

 

ビル・ウィザース。
「クリスタルの恋人たち」

 

 

 

 

 

 

(過去記事統合増補編集再録)