これに誰も文句いわなかった。時代だよなあ~
(My Favorite Songs)
ある夜、プリンストン大学で教諭をする地球外生物学者ヘレン・ベンソン博士の自宅に、アメリカ政府のエージェントが突然やってきた。強制的にある非常事態への協力を求められたヘレンは、1年前に他界した夫の連れ子であるジェイコブを隣人に預け、慌ただしく公用車に乗り込む。
すでに政府は、軍を総動員出動させ警戒態勢を敷き、町は異様なまでに静まり返っていた。政府がヘレンのほかに、核物理学・天文学・地質学などの権威を招集したのは、木星の外側で観測された「謎の物体」への対策を講じるためだった。小惑星と思われるその物体は、想定外の進路を信じがたい速度で移動し、マンハッタンへと迫っているのだった。…………
[引用終]
これは、1951年公開『The Day the Earth Stood Still』のリメイクで、名作のアイデアは世界中の後続映画に何度もパクられ、俺たちはすでに見飽きてるから、上記のストーリーに新鮮味はまったくない。
日本人は
死んだ人は、あなたの近くにいる。
と、千年も前から言い続けている。
しかも、これはもちろん日本人だけではない。
人は(私は)死んでも生きてるんだと。
何千年も昔から世界中で、なんど世代が入れ替わっても、人々はこの迷信を鵜呑みにする。
しかし、
何千年続こうと、
間違いは間違いだ。
真理は、多数決ではないから。
(マハトマ・ガンジーの言葉とされているもの フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』)から引用させていただきます。
周知だからといって間違いが真実にはならないし、誰もそう見ないからといって真実が間違いにもならない。例え大衆の支持無くとも、真実は立ち上がる。真実は自立しているから。
"An error does not become truth by reason of multiplied propagation, nor does truth become error because nobody sees it. Truth stands, even if there be no public support. It is self sustained."
(引用終)
人間は
死を
超えられない
とは、ブッダの聖なる教えなのです。
この真昼の太陽のように明々白の真実を、そのままに受け入れる者はほとんどいません。
一般大衆はもちろん、学者・僧侶にさえほとんどいない。しかし
大衆の支持無くとも、真実は立ち上がる。真実は自立しているから。
ここでひとつ質問です。
この世界に争いが絶えない原因は何だとおもいますか?
(ブッダの真理のことばDh.6 中村 元 訳)
から引用させていただきます。
「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。
――このことわりを他の人々は知っていない。
しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。
(引用終。強調は私です)
ブッダは
「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。――このことわりを他の人々は知っていない。
の後に続けて
しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。
と教えています。
わたしはこう確信しています。
死んだ後も何らかの形で「自分」は生きていると大多数の人々が妄想していることこそ、世界に争いがしずまらない本当の原因なのだ。と。
知識の表現
「人は必ず死にます。常識です」
智慧の表現
「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう」
言葉にすれば同じですが、この間には容易に超えがたい深い断絶があります。
その証拠にブッダの次の一句
このことわりを他の人々は知っていない。
の意味が、知識レベルの人には全然わからないはずです。
世間の常識はあげ底。
それも甚だしいあげ底。
「人は必ず死ぬ」と聞くと「そんなことは常識だ。誰でも知っている」と答えるのがそれ。
生者必滅の理が本当に常識なら、こんなにも浅ましい世界であるはずがないですから。
本当に自分は死を越えられない存在だと気づけば(智慧レベル)「争いはしずまる」ことは自分の手のひらを見るように自明になります。
知識レベルにとどまっている人に、「争いはしずまる」ことをいちおう納得がいくように言葉だけで説明することもできますが、わたしはそんな無駄をやりたくない。
知識でわかってもらっても、争いはしずまらないからです。
以下の、ブッダの言葉は「なにをあたりまえのことをくどくどと」と思いたくなるほど、《誰でも知ってる事実》です。
この世における人々の命は、定相なく、どれだけ生きられるかわからない。惨ましく、短くて、苦悩に繋がれている。
生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死が来る。実に生あるものどもの定めは、このとおりである。
若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、すべて死に屈服してしまう。すべての者は必ず死に到る。
かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが、父もその子を救わず、親族もその親族を救わない。
見よ。見まもっている親族がとめどなく悲嘆に暮れているのに、人は一人ずつ、屠所に引かれる牛のように、連れ去られる。
このように世間の人々は死と老いとによって害われる。されば賢者は、世のありさまを知って、悲しまない。
泣き悲しむことによっては心の平安は得られない。ただますますかれには苦しみが生じ、身体がやつれるだけである。
だから尊敬さるべき人のことばを聞いて、亡くなった死者を見ては、「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」とさとって、悲しみ嘆きを去れ。
(以上、スッタニパータ第三8・574~590 中村 元訳より抜書引用させていただきました)
ブッダはなぜ、こんな平凡な分かりきったことを、何度も何度も繰り返し説いたのですか。
それは、この「人間は死ぬ」という事実をありのままに認める人がめったにいないからです。
非常に多くの人は、ありのままの事実を忌み嫌い、不死なる魂の大嘘話を信じて感涙にむせびたいのです。
その根底には死への恐怖があります。
これは、人間と世界を理解するための、決定的な最重要ポイントです。
人々が、自由に飽いて往年の欺瞞の国・獣の国にくりかえし戻ってしまう仕組みと打開策を理解するための。
(My Favorite Songs)
アフリカ
(過去記事統合増補編集再録)
(My Favorite Songs)
(過去記事統合増補編集再録)
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戦争で金を儲け平和になると儲からなくなる者達にとって、戦争は明らかに望ましいものだ。
しかし戦争が次々起こり平和が来ない真の原因は彼らではないことに気づかないと、戦争がやむことは決してない。
戦争の真の原因は、ごく普通の人々が
「自分は死んでも生きている」
という幻想に取り憑かれていることだ。
人々がこの妄信を改めない限り、戦争で金を儲けようとする者がこの人々の中から次々育ち、戦争は繰り返される。
日中~太平洋戦争で日本人310万人が残酷に殺された。
人間一人一人に隠された我欲が、この無残極まる結果を招いた真の原因であることは間違いない。
人間一人一人に隠された我欲の正体こそが
「自分は死んでも生きている」幻想
なのだ。
鉄玉を飲むような苦しみを味わって、戦後76年経った今「
人間の犯罪的な貪瞋痴の愚かさは、また同じ過ちを犯すだろう。
本当に驚くべきことだが、人々は、
犬が自分の吐いたものに戻るように
愚か者は自分の愚かさを繰り返す。
( 新共同訳 聖書 箴言 26章 11節)
今や、大組織のトップ意思決定者でさえ、ポジショントークしかせず、それの何がいけないのかも理解できなくなっている。
その、卑しいおとぎ話に田吾作どもがのせられ、調子こいて迷走し暴走し、あげくに戦争をおっぱじめる。
この前の悲惨極まる敗戦を招くまでのパターンの拡大相似形を1ミリ違わずなぞることになる。
今度やったら死者は310万人どころではなくなる。
そんなこと言っている場合ではないのです。
※ (ブッダの真理のことばDh.6 中村 元 訳)
「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。
――このことわりを他の人々は知っていない。
しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。
(強調は私です)