楽であろうと、苦であろうと、非苦非楽であろうとも、内的にも外的にも、およそ感受されたものはすべて、
苦しみであると知って、滅び去るものである虚妄の事物に触れるたびごとに、衰滅を認め、このようにしてそれらに対する執着を離れる。
(ブッダのことば スッタニパータ738,739より 中村 元訳)
一切皆苦。快は錯覚。
この事実をまさに事実だと知ることが重要。
さもないと、感覚を厭い離れようとは思えない。
厭い離れる気持ちが切実でなければ、実践は常に中途半端になり成就しない。
接触感覚は止められないが、接触感覚だけで止めることは可能。
接触が思量分別等の汚物を呼び込むのを止める。
瞬間に接触し瞬間に消滅する、諸感覚の衰滅のありのままを観察して、それらに対する執着を離れる。
というわけで、理屈と実践の甚だしいギャップに苦悶しつつ、ひとりでヴィパッサナー瞑想を検証中。人生は実験だ!
※ヴィパッサナー瞑想
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html
(My Favorite Songs)
いわゆる男装の麗人モノを初めて知ったのは、マンガではリボンの騎士、テレビドラマでは琴姫七変化でした。
(過去記事統合編集再録)