今日は澤木老師のことばをいくつか
受験予備校でカンニングする奴がある、予備校でカンニングするようでは、本当の試験のときカンニングせねば通れぬのに決まっておるが、---そのばかさ加減は折れて曲がって念が入って、風流すぎる。
しかし、じつはそれと同じばかさ加減を、世の中すべてやらかしておる。
人の物を盗めば、もはやそれだけでりっぱな泥棒に決まっておるのに、今の奴は警官がつかまえ、検事がしらべ、判事が判決をくだし、牢屋へ入ってはじめて罪人になるのだと思っておる。
じゃから政治家の汚職なども、それをもみ消してのがれれば、やっぱり自分は徳者だとおもい、甲斐性もんじゃとおもうておる。
---それほどグループ呆けしておるんじゃ。
文化、文化と言うけれど、ただ煩悩に念が入っただけのものでしかないじゃないか。
煩悩のシワが、いくら念が入っても、仏教からいえば、進歩とも文明とも言わぬ。
いったいいま進歩、進歩と言うが、
どっちゃ向いて進んでいるか。
みんな自分自身そのなかにつかりこんでいるから、そこに「何でも何ぞあるかのように」思いこんでやっておるが、じつは人間の一生は、みんなあのツバクロと変わりはない。
オンタは餌ひろい。メンタは卵ぬくめ。
「澤木さんの話を聞いていると、信がさめる」と言う。
もっと信を冷ましてやろうと思っているのだ。
どうせそんなのは迷信でしかないのだから。
「澤木さんの話を聞いても信はおこらぬ」と言う。
迷信がおこらんだけの話じゃ。
(以上、「禅に聞け」澤木興道老師の言葉より)
欲の深い者に本当の勇気があろう筈がない。
人間がこの世の中に生まれて来るのはただ一度です。
解脱と云うことは少欲です。
足ることを知ると云うことは、
前後を裁断してそれになり切る
と云うことである。
現在を見つめるのです。
現在の心持を尊ぶのです。
そこに不変の大生命があるのです。
(以上、澤木興道全集2「禅談」より。強調は私です)
(My Favorite Songs)
ウィルソン・ピケット。
「ダンス天国」
Land of 1000 Dances - Wilson Pickett | Marius & Diana | Jive 2020 - YouTube
(過去記事統合増補編集再録)