哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

「禅に聞け」澤木興道老師の言葉

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宗教には連帯責任ということはない。

私一人である。
(「澤木興道老師の言葉 禅に聞け」櫛谷 宗則編)

泣き顔をヤメイ。ちっちゃな気で「オレはツマラヌ」と思い、「ヒトはエライ」と思うて泣き顔してコセコセして。---そしてちょっとツマルと調子づきやがって。

(同)
一切衆生は唯我独尊じゃ、自分が自分を生きるよりほかはないんじゃ。それをどうして見失うたか。

(同)

 

 

おれの感想もちょっと書きます。


ありのままのダメな自分を知って、深く信じよ。いくらダメでも「自分が自分を生きるよりほかはない」という唯我独尊の自信を持て。ってことです。
(以上)





さらに老師の言葉。
 「無常を観ずることを菩提心と名ずく」と『学道用心集』にはある。
ところでまた「菩提とは、如実に自心を知る」ことじゃと、『大日経』には言うておる。
つまり

「無常を観ずる」ことが、何より「実のごとく自心を知る」ことじゃ。

(同)

 

 

おれの感想。
「自分は死なない」なんて最悪最低の嘘を自分についたら、無常を観ずることは絶対不可能だ。すると「実のごとく自心を知る」ことも絶対不可能、自信を持つことも絶対不可能になる。すべて自作自演、自業自得の厄災だ。
だけど自分で始めたことだから自分で変えられるし、自分でしか変えられない。
最悪最低の嘘を止めて「自分は死ぬものである。自分は死を超えられない」とわかるまで事実をよく観察しなさいというのがブッダの揺るぎない教えだ。


これは「無我」という世界一輝かしい教えに

一本道で繋がる最初の大いなる一歩だ。


いくらダメ人間でもこればっかりは自分がやるほかない。本気出せばやれる。(以上)



世間についての老師の言葉も。

 しずかに落ち着いてよく読んでみれば、マルクスエンゲルスも「餌の分配」の話でしかない。






 昔の奴も阿呆じゃったね。ドエライ金と労力をつかって城をつくり、それで何をするかと言うと、けんかするためじゃったのだからね。
今の奴はもっとバカじゃね。原爆だの水爆だのまでつくって、ボタン一つ押して、ペロッといっぺんに人類を殺してしまおうというのだから。






 あほが電子計算機をあやつり、ノロマがジェット機に乗り、気違いがミサイル発射のボタンをにぎっておる──これが今日の問題なんじゃ。






 昆虫を箱の中に入れて見ていると、その中で一人前の気でカミアイしておる。人間も原爆やら水爆やらつくって──これを宇宙の彼方から見ていたら、さぞおもしろかろう。

(禅に聞け 澤木興道老師の言葉 櫛谷 宗則編)


※画像は澤木興道老師。「禅談」(大法輪閣)口絵より


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)


たよりにしてまっせ 笠置シズ子 Shizuko Kasagi

 


買い物ブギ

 


東京ブギウギ/笠置シヅ子

 

 

(過去記事統合増補編集再録)