哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

甘酢漬 はま寿司 やる気が続かないのは、なぜ?

 

採れたて新鮮な紫玉ねぎと大根をいただいたので、両方とも甘酢漬けにしました。

まず大根を塩で下漬けし

風味付けの柑橘類の表皮も加えた甘酢で漬け


次に、玉ねぎも漬ける。漬け液が綺麗な紫色になって良い感じになる。

 

それで今日の朝食は、

甘酢大根と卵の具でホットサンド。紫玉ねぎ甘酢漬け添え。

 

 

昼食は

「北海道厳選旨ねた祭り」開催中のはま寿司へ。



 

 



 

 

 

 

 

 

ゆっくり食べながら、以前聴いたスマナサーラ長老の法話.mp3で、仏法のキモ「不放逸(アッパマーダ)」の教えの再確認をする。

不放逸(アッパマーダ)の意味ーー瞬間に気づく集中力を育てて自由を生きる|スマナサーラ長老の切り抜き法話


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[感想]

あなたのせっかく出したやる気が、毎回あっという間に消えてしまうのはなぜでしょうか。

 

その原因は、あなたが

不放逸(アッパマーダ)の意味を、

まったくはき違えている

からです。

 

 

 

 

ブッダの遺言は

怠ることなく精進せよ(=不放逸

だった。


ブッダは常々「不放逸は不死の境地である。
放逸の人は死人に等しい」と説いた。


ブッダの「怠るな」が、とにかく何でもまじめに精一杯がんばれ、といったあやふやな指示ではないとわかるだろう。何事もさぼらず真剣にやるという普通のことが、不死の境地とはいえないからだ。

ブッダの不放逸は、

一般人が、日々の仕事を一所懸命真面目にやるとかいう意味では、まったくない。

一方、
昔から山奥に何十年も籠って、命も惜しまず修行に励む苦行者たちも、たいていブッダの不放逸から酷くずれていた。

 

 血を吐くほど死に物狂いに日々仕事しても、あるいは山奥で独り真面目に修行しても、
そこに不断のサティがあれば不放逸となるが、サティがないときはただの煩悩でしかない。

正反対に見えるこの両者は、実は同じ精神状態なのだ。

 

仏法のポイントはたった一つ、サティがあるかないかだけ。


何をしようと、サティがないなら、怠けてるのです。

 

これは、世の常識とは明確に違いますが、よくよく考えれば、人生最大の真理だと理解できるとおもいます。

 

ブッダ入滅に立ち会った当時の弟子たちは皆、それをはっきり知っていた。

 

 

サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

ZZ Top - Gimme All Your Lovin' (Live)


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