錆びるときは、人生も錆びる こころの汚れは、人生の錆です
より引用させていただきます。
より引用させていただきます。
「復習しないことは、学問の錆」「精進しないことは、在家の錆」「怠けは、美容と健康の錆」は常識で分かります。しかし
放逸は、仏道の錆は常識ではちょっと分からない領域です。これを理解することが、人生の一大事だとおもいます。
放逸は、仏道の錆は常識ではちょっと分からない領域です。これを理解することが、人生の一大事だとおもいます。
スマナサーラ長老の法話に学びましょう。
…こころは煩悩で汚れます。煩悩というのは、易しい言葉で言えば、感情です。感情が働くと理性を失うのです。欲、嫉妬、怒りなどの感情の衝動で人々がやっていることは、決して合理的な行為ではありません。無茶苦茶な行為です。常識も犯すのです。法律も道徳も破るのです。大失敗するのです。感情が入ると、人は無知です。感情に支配されるということは、無知に栄養を与えることです。欲、怒り、嫉妬、落ち込み、後悔、高慢などの感情は、いろいろなものを見たり聞いたり味わったり触れたり、また考えたりするとき、こころに入り込むものです。人間は目耳鼻舌身意を持ってるので、見えるもの聞こえるものなどが身体に触れて、意識になることは避けられません。仏弟子はものを知る、認識する。しかし、そのデータによって感情が起こらないようにと、こころを守るのです。仏道を歩む人にとって、こころを守ることは当たり前の修行です。データが入る瞬間に、それに気付くこと(サティ)が必要です。「サティがないことは、怠ること」は、こころを守る人の錆なのです。
[引用終]
おれは以下のように理解します。
どれほど熱心に真面目に仕事しても、サティがないなら怠けているのです。
サティがない時、
すべて放逸です。
世の常識と
鮮明に違います。
この違いを明らかにすることが最優先のタスクです。よくよく考えれば、これこそ人生最大の真理だとわかるからです。
この違いを明らかにすることが最優先のタスクです。よくよく考えれば、これこそ人生最大の真理だとわかるからです。
(My Favorite Songs)
(過去記事統合増補編集再録)