哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

意欲と欲は別物。勝つぞの慢心を意欲で活用する

 
意欲を、たんなる欲望と区別しない者は、
味噌も糞も一緒くたにする狂愚者だ。
 

 

目的地(悟り)に着くまでは、

目的地に行くという自己意欲が切要だが、

目的地に着けば、

その自己意欲は役目を終え、消えてる。

あたりまえの道理であり、

分からない方がどうかしてる。

 
 
 
 
より引用させていただきます。
 
ある経典で、お釈迦様は比丘たちにこのようにおっしゃいました。
もしどこかのお坊さんが悟りを開いたと聞いたなら、
悔しくなってでも、慢心を持ってでも、自分も悟れるように精進しなさい
」と。
あの人にできたのになぜ私にできないか、
あの人に努力できたのになぜ私に努力できないか、
このように他人と比べることは慢心であり、
ほんとうは悪いことなのですが、
ある経典でお釈迦様は、
そういう気持ちを持ってでも解脱するために頑張りなさいとおっしゃっています。
これは「欲をもって欲を戒める」ということで、
「自分も悟りたい」という欲を作るのです。
隣のお坊さんが悟ったらすごく悔しい。
「私もやるぞ」という大きな欲といいますか、希望を作って頑張るのです。
……………………
……………………
心の汚れを最終的になくすことができるのは、今の瞬間に気づくという「ヴィパッサナー」です。これは私たちの心を清らかにする唯一の道であり、最も効果的で、すぐれた実践法なのです。
 
(引用文中の強調はわたしです)引用終。
 
 

ブッダは、

現実の人間を

誰よりも深く知ってた。

 
 
 
 
おれが子供のころ

♪勝あつとおもうな~おもえば、負けよ~♪

という歌が流行ってた。

勝ちたいという欲を捨てよ、という主張だ。
 
真剣な修行実行者がほとんどいない欲まみれの世間で、
このような『高級な教え』だけが通俗化され、
謡曲にもなって大ヒットする事が、
実際に何を
明らかに示してるか
を、よくよく考えてほしい。

 

 

【カラオケ】柔 / 美空ひばり


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ところが今では、これが逆になって、
現場では自分が勝った姿を頭の中で何度も思い描く
「イメージトレーニング」が行われてる。

勝ちたいという欲を活かして勝つ、という考えだ。
 
「勝つとおもうな。おもえば負けよ」は、とんと聞かなくなった。勝負の現場では、理想論や体裁の良いきれいごとの入る余地はなく、実際に相手に勝つ結果が出なければ話にならん。

「勝つとおもうな。おもえば負けよ」
は現実の人間の身の丈に合ってない
『高級な教え』
なので役に立たず、廃れたのだとおもう。


仏教にも「悟ろうとおもうな。悟りたい欲を捨てよ」
という
『高級な教え』
があるが、現実の人間の身の丈に合わないので、
害毒のほうが多く、
修行実行者の役に立たないとおもう。
 
さらに、役立たないのみならず、
身の丈に合わない『高級な教え』の毒がまわって
仏教は衰弱し、悟り無用論に形骸化する。
ブッダの筏を此岸で捨てた愚者連がイキるようになる。
 
(引用終)
 

 

 

ひとより幸せになるぞと
慢心をもってでも
頑張るのが正しい。

 

人間は、

欲以外の幸福(悟り)に達するまでは、

誰でも例外なく常に、

欲望につきまとわれる生き方しかできない。

ブッダでさえそうだったのだから。

 

いかに欲の禍が甚しいものであることを知っても、欲以外の幸福に達しない間は、どうしてもこの欲につきまとわれる。これは余の経験であるが、余も亦、さとりを得るまでは、常に欲に追われていた。
(現代語仏教聖典 第14章1,2)

 

現実の人間を、

ブッダは誰よりも深く知ってたんだ。

 

 

 

 

 

 

 (My Favorite Songs)

ラム・ジャム Black Betty

 

 

これはカヴァーで、

原曲はこれ。

 

レッド・ベリー Black Betty

さらに源流は作者不詳の古いワークソングとのこと。

 

ブルース速いテンポで演奏すればロックになる説じゃないが、

ラム・ジャムは見事なカヴァーで原曲の素晴らしさを、

おれみたいな素人にもわかりやすく伝えてくれてる。

 

他にも多くのミュージシャンがこの曲のポテンシャルの高さに注目してカヴァーしてる。

 

これも。

メイソン・ラックバンド Black Betty 

(奥で動いてる人が気になって…) 

 
 
(過去記事増補編集再録)