目的地(悟り)に着くまでは、
目的地に行くという自己意欲が切要だが、
目的地に着けば、
その自己意欲は役目を終え、消えてる。
あたりまえの道理であり、
分からない方がどうかしてる。
「もしどこかのお坊さんが悟りを開いたと聞いたなら、
悔しくなってでも、慢心を持ってでも、自分も悟れるように精進しなさい」と。
あの人にできたのになぜ私にできないか、
あの人に努力できたのになぜ私に努力できないか、
このように他人と比べることは慢心であり、
ほんとうは悪いことなのですが、
ある経典でお釈迦様は、
そういう気持ちを持ってでも解脱するために頑張りなさいとおっしゃっています。
これは「欲をもって欲を戒める」ということで、
「自分も悟りたい」という欲を作るのです。
隣のお坊さんが悟ったらすごく悔しい。
「私もやるぞ」という大きな欲といいますか、希望を作って頑張るのです。
♪勝あつとおもうな~おもえば、負けよ~♪
という歌が流行ってた。
勝ちたいという欲を捨てよ、という主張だ。
このような『高級な教え』だけが通俗化され、
歌謡曲にもなって大ヒットする事が、
【カラオケ】柔 / 美空ひばり
現場では自分が勝った姿を頭の中で何度も思い描く
「イメージトレーニング」が行われてる。
勝ちたいという欲を活かして勝つ、という考えだ。
は現実の人間の身の丈に合ってない
『高級な教え』
なので役に立たず、廃れたのだとおもう。
仏教にも「悟ろうとおもうな。悟りたい欲を捨てよ」
という
『高級な教え』
があるが、現実の人間の身の丈に合わないので、
害毒のほうが多く、
修行実行者の役に立たないとおもう。
幸せになりたい〈欲〉で仏教しても大丈夫? スマナサーラ長老の初期仏教Q&A|ブッダの智慧で答えます(16 July 2023 北とぴあ) - YouTube
幸せになりた~い
とすごい欲張って
仏道に入っても
大丈夫です。
ひとより幸せになるぞと
慢心をもってでも
頑張るのが正しい。
人間は、
欲以外の幸福(悟り)に達するまでは、
誰でも例外なく常に、
欲望につきまとわれる生き方しかできない。
ブッダでさえそうだったのだから。
いかに欲の禍が甚しいものであることを知っても、欲以外の幸福に達しない間は、どうしてもこの欲につきまとわれる。これは余の経験であるが、余も亦、さとりを得るまでは、常に欲に追われていた。
(現代語仏教聖典 第14章1,2)
現実の人間を、
ブッダは誰よりも深く知ってたんだ。
(My Favorite Songs)
ラム・ジャム Black Betty
これはカヴァーで、
原曲はこれ。
レッド・ベリー Black Betty
さらに源流は作者不詳の古いワークソングとのこと。
ブルース速いテンポで演奏すればロックになる説じゃないが、
ラム・ジャムは見事なカヴァーで原曲の素晴らしさを、
おれみたいな素人にもわかりやすく伝えてくれてる。
他にも多くのミュージシャンがこの曲のポテンシャルの高さに注目してカヴァーしてる。
これも。
メイソン・ラック・バンド Black Betty
(奥で動いてる人が気になって…)