『コネチカットにさよならを』予告編 - Netflix [HD] Netflix Japan
より引用させていただきます。
富裕層が暮らすコネチカット州ウェストポートの閉塞感にやりきれない思いを抱えるアンダース・ヒル (ベン・メンデルソーン) は、悔いのない人生を歩みたいという望みを胸に抱き、金融関係の仕事を辞め、妻 (イーディ・ファルコ) の元を離れる。しかし、その決断の後に待っていたのは思いもよらない現実だった...。空っぽの棚に飾れるものはないかと探したり、見知らぬ人と寝たりと、ひどい喪失感に襲われる日々を過ごすことになる。
(引用終)
この映画の主人公アンダース・ヒルのように、ほんとうの自分を取り戻そうとして、単純に仕事を辞め家庭を捨てても、相変わらず同じ世間の中にいるのだから、人生を一転させる自由など絶対にやってこない。
このような愚かな自分探しの旅のおおかたは、自分の居場所がなくなって困窮したあげく、前より酷い境遇に落ち着くことになる。
1997年スペイン映画「オープン・ユア・アイズ」の
ハリウッドリメイクだ。
キャッチコピーは
「あなたが想うあなた自身は幻に過ぎない…」
オープン・ユア・アイズ(目覚めよ)の真の意味とは?
目覚まし時計の録音声でないくらいは誰でもわかる。
そんな説明に映画を作ったりはしない。
より引用させていただきます。
殺人容疑で逮捕された仮面の男・デイヴィッドと、精神分析医マッケイブの取り調べ室での会話を軸に、ストーリーは進む。
出版界の王様と言われていたデイヴィッドの父・デイヴィッド シニアが交通事故で死亡し、父の経営する大手出版社の株式51%を引き継いだ富豪で若き実力者でプレイボーイのデヴィッドは、自分の誕生日パーティーで親友・ブライアンの恋人のソフィアに一目惚れしてしまう。それに気付いたデイヴィッドのセックスフレンド・ジュリーは、嫉妬のあまり彼と共に自動車事故による無理心中を図ろうとするが、未遂に終わる。
運転していたジュリーは死亡し、助手席にいたデヴィッドも重体で3週間の昏睡から目覚めると、ハンサムだった彼の顔は、事故のせいで見るも無惨なものになっていた。この事故を契機に、デヴィッドの部下7人の老いた重役たちは会社を乗っ取ろうと策略をめぐらすが、醜くなった顔のせいでデヴィッドの性格も段々と歪んでいく。
(引用終)
現実とは「悪い夢」だ
と気づいた者は、
自分で「良い夢」を作りがちだ。
なるほど、善い夢を見るのは、悪い夢を見るより幸福かもしれない。
しかし、その両方とも夢に過ぎないと気づいた者は、すべての夢から目覚めたいと願うだろう。
人生で一番の大事は、
夢の中で幸福でいることではなく、
夢から覚めることだからだ。
さて、ここまでは良い。
せっかくここまで間違わずに正しい道を進んできたのに、大多数の者は次の一歩で大きく踏み外し、あっという間に奈落の底にもろとも転落していく。
「目覚める」とは、結局
苦しい現実を喜んで生きようと自分で決心しなおすことだ
という、アホみたいな結論になる。
賢愚の別なくみんな口をそろえてそういう結論になる。
ここで紹介した映画も、すべてそういう結論になっている。
なんじゃそらそら!
夢から覚めることが、単にまた最悪の現実に戻って全力でのめり込むことなんかであるはずないだろう。
ちょっと冷静に考えたらわかりそうなもんだろうに。
頭で考えるだけでブッダ直説の修行ができない輩の、あつかましい自己正当化に過ぎない。
「目覚める」とはそんなことではない。
ブッダの教えをよくよく聞けば、
「目覚める」の真の意味がきっとわかる。
古今東西の様々な哲学と宗教は、貪瞋痴に苦しみながら貪瞋痴に夢中の人間が背に腹は代えられぬ必要からついた大嘘の百家争鳴に過ぎない。
現代のように理性が尊ばれ、科学が発達し、合理的思考が興隆を極める時代になっても、なお依然として大多数の人々は、この種の嘘を求めている。
そのため、昔は思想家も単純で、嘘と気づかずついていた嘘が、今は、嘘と百も承知で、未熟な客のニーズに合わせてチープな劣化コピー商品を提供する怪しげな商売になっている。
曰く、
あなたは、ありのままでいいんですよ。そのままで救われています。あなたはとっくに悟っています。あなたは永遠不滅の魂で、けっして死にません。すべてはうまくいっていて、あなたのどんな願いも、すでにかなっています。
何の問題もないと今すぐ気づいてください。
それだけでAll OKなんですよ。
みたいな。
自分が聞きたいこと、言ってほしいことを、
ただ見透かして言ってるだけの人たらしを受け入れる。
言うほうも言うほうなら聞くほうも聞くほうだ。
加害者被害者の関係じゃなく、一種の相互依存・共犯関係で、
こういうのを割れ鍋に綴じ蓋と称す。
生きがいも悟りも救いも神も仏も、まるで100均で買えるありふれた商品のように、街頭で受け取るポケットティッシュのように、世間にネットにあふれかえっている。
なんと悲惨なことだろう。
(バートランド・ラッセル「宗教は文明に有益な貢献をなしたか」大竹 勝訳)
より引用させていただきます。
この苦痛の多い世界で、万事このうえなくうまく行っていると信じているひとは、彼の倫理的な価値をそこなわずにおることはできない。それは、常に、苦痛とみじめさとに言いわけをしなければならないからである。
(引用終)
長年馴れ親しんだ生活と社会の無意味さに気づいたら、
在家の出家をする必要がある。
具体的には
「今ここに気づく」ヴィッパッサナーの専心実行だ。
この決意ができないなら、
「コネチカットにさよならを」
のデイヴィッドがそうだったように、
無意味な生活と社会に、あらためて馴合う以外の選択肢はない。