哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

湿った冷たい火に焼かれる苦

佐々木閑 仏教講義 8「阿含経の教え 4,その54」(「仏教哲学の世界観」第11シリーズ) - YouTube

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[感想]

苦は3つある。苦苦(感覚苦)はテクノロジーで消せる。

残り2つ行苦と壊苦は、仏法以外で消すことはできない。

 

 

誰もが持ってる「ひたすらに生きんとする盲目の意志」が行苦、その不可能性が壊苦。

行苦と壊苦は「俺、俺の物」捏造から生じた冷たい火だ。大多数の人々はこの火でじりじり焼かれる苦をあえて無視、いつまでも生きるという不可能事を盲目的に渇望して止むことがない。なんたる狂愚行か。

 
「ターン・プッタタートの法施図書室」から引用させていただきます。
……どんな方面も愚かさほど熱くはありませんが、人は知りません。……
 昔式の医学で「内熱」と言います。普通の人は熱く感じません。触っても熱くありませんが、その方面の知識があれば非常に熱いと分かります。体(の表面)は熱くないのに、内部が熱くて死にます。……痴、無明は内部の深いところで熱くなっています。それはラーガの燃料であり、際限なく怒りを作り出します。……
 湿った冷たい火に注意してください。炎を上げて燃える火よりも熱いです。「俺、俺の物」は深奥部にある湿った火、内熱です。

(引用終)

 

 

この根本愚を正さないから、行苦と壊苦が消えない。

 

アーナーパーナサティの完全技法と自然法より)

 ……智慧は、何も「自分」「自分の物」と強く捉えない、もっと沸騰すれば「俺」「俺の物」と執着しないことです。

 これは「サッベー ダンマー ナーラン アビニヴェッサーヤ」とパーリ(ブッダの言葉である経)で繰り返し話された仏教の心臓部である項目です。何物も「自分、自分の物」と執着しない。ブッダは「この短い言葉は八万四千項目あると言われる教えのすべてを包含している仏教の心臓部」と主張なさっています。八万四千項目すべては、この短い「何物にも、私、私の物と執着しない」という一語に集約されてしまいます。

 「教えのすべてを一つにまとめたらどのようになりますか」と質問する人があった時、ブッダはそう答え、更に「これを聞いただけですべての項目を聞いたのと同じ、この項目を実践するならすべての項目を実践したのと同じ、この項目の結果はすべての項目の結果と同じ」と付け加えられました。

(引用終)

 
 
ブッダは、この上ない明瞭さで真理を示してくれてる。
人は「俺は、俺の」のせいで、みな避けようもなく非業の死をとげてる。
これ、なんとかしなきゃダメだろ。

しかし、現実は苦だと気づく者は多いのだが、その大多数は対抗策として間抜けにも、苦から楽を作り出そうとする。

 

確かに、楽しい夢を見るのは、苦しい夢を見るよりいくらかましだろう。

しかし、その両方とも夢に過ぎないと気づいた者は、ついにすべての夢から目覚める。

 仏法の最終目的は、すべての夢から覚めること(滅苦です。

 

 

 

 

これに関して示唆的な「オープン・ユア・アイズというスペイン映画の名作がある。ハリウッドでトム・クルーズ制作主演「バニラスカイ」としてリメイクもされた。キャッチコピーは「あなたが想うあなた自身は幻に過ぎない…」

Vanilla Sky - Intro Scene HD - YouTube

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Vanilla Sky Final Ending David waking up 1080 HD Subtitles - YouTube

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オープン・ユア・アイズ「目覚める」とは、結局

苦しい現実を喜んで生きようと自分で決心しなおすことだ

という、アホみたいな結論になる。
賢愚の別なくみんな口をそろえてそういう結論になる。
この映画もそういう結論になってる。やれやれ…

 

なんじゃそらそら!

 


夢から覚めることが、単にまた最悪の現実に戻って全力でのめり込むことなんかであるはずないだろう。

ちょっと冷静に考えたらわかりそうなもんだろうに。

頭で考えるだけでブッダ直説の修行ができない輩の、あつかましい自己正当化に過ぎない。

 

「目覚める」とはそんなことじゃないんだって。


ブッダの教えをよくよく聴けば、
「目覚める」の真の意味がきっとわかる。

 

 

ブッダの感興のことば26・17 より引用させていただきます)
見られたことは見られただけのものであると知り、聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、考えられたことはまた同様に考えられただけのものであると知り、また識別されたことは識別されただけのものであると知ったならば、苦しみが終滅すると説かれる。
(引用終)
 
 

 「目覚める」とは、
見られたことは見られただけのものであると知り、聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、考えられたことはまた同様に考えられただけのものであると知り、また識別されたことは識別されただけのものであると知
ることだ。

佐々木閑 仏教講義 8「阿含経の教え 4,その56」(「仏教哲学の世界観」第11シリーズ) - YouTube

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自然状態の人間は、生まれてから、さあいよいよ死ぬというその瞬間まで、色・受・想・行・識に執着するのがさがだから、このブッダの教えを聞いてすぐわかる者はブッダ在世中でも少なかった。

しかし、今でも自己省察に至るまでよくよく考えれば、やがて必ずわかることとおもう。

 

脳で考える限り、言葉で考えており、

言葉の考えは必ず「俺、俺の」に害され支配される。

 

これが

身に刺さった矢である

と気づいたなら、ブッダのヴィパッサナー実践法の意味と価値に気づく。

 

 

サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

Michael Jackson and Prince on stage with James Brown (1983) - YouTube

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Prince Live - Play that funky Music - Hollywood Swinging - Fantastic Voyage 4/28/11 - YouTube

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(過去記事統合増補編集再録)