哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

映画「コネチカットにさよならを」&「バニラ・スカイ」

『コネチカットにさよならを』予告編 - Netflix [HD] - YouTube

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ウィキペディア『コネチカットにさよならを』ストーリー

より引用させていただきます。

アンダース・ヒルは妻のヘレンと離婚し、長らく務めていた金融会社を早期退職したが、やりたいことを見つけられずに難儀していた。息子のプレストンは既に成人していたが、薬物依存が原因で経済的に自立できない状況にあった。

毎年参加していたヘレンの友人ソフィーが開くクリスマスパーティーへ今回も顔を出すが、ヘレンの友人らからは白眼視され気まずい思いをする羽目になった。家の外に出たアンダースはソフィーの息子チャーリーと意気投合し、一緒に遊ぶことにした。しかし、彼らがマリファナを吸っているのを見て、苦々しい気持ちになった。しかも、そのマリファナにはフェンサイクリジンが混じっていたのである。それが原因で、チャーリーは病院に緊急搬送されることとなった。

アンダースはヘレンに渡した家のローンを半年以上滞納しており、家は差し押さえ寸前になっていた。それがヘレンに知れてしまったため、アンダースは友人に借金を申し込みに行く。しかし話を切り出せないうちに、友人に強引にストリップクラブへ連れて行かれる。クラブのトイレで体調を崩したバーバラという女性と出会い、彼女をタクシーで送る途中、酔っ払っていたアンダースはうっかり元の家の住所をドライバーに告げてしまう。仕方なくそのままヘレンの家に押しかけ、ヘレンとプレストンを困惑させる。後にバーバラとは買い物中に偶然再会し、2人は惹かれあう。

数日後、プレストンがアンダースを尋ねてやって来た。酒屋で職を得たのはいいが、ヘレンによって家から追い出されたのだという。息子の自立を願うアンダースは故意に素っ気なく追い返した。その夜、今度はチャーリーがアンダースのもとにやって来た。チャーリーは「自分が更生施設にいる間、ペットの亀を世話して欲しい」と頼んできた。チャーリーからヘレンが再婚すると聞かされたアンダースは心の痛みに耐えかねて、チャーリーと共にドラッグを吸う。チャーリーはそれが元で命を落とすが、その遺体を発見したのはプレストンであった。薬物の乱用で命を落とす人間がいるという現実を目の当たりにして、ヘレンはプレストンを再び家に迎え入れた。

アンダースはヘレンの彼氏ドニーに家を売り、権利書をヘレンに渡す準備をしていた。そして家から車で1時間ほどのホテルに遁走し、チャーリーの葬儀は欠席する。クリスマス・イブの夜、プレストンはアンダースのホテルへ出向き、ヘレンの家へ連れてくる。ディナーへはソフィー夫妻が来ており、プレストンとアンダースはチャーリーの死の真相について詰問される。アンダースはドラッグをしたことを打ち明け、チャーリーの父親から暴行される。ソフィーはヘレンとドニーが2年前から不倫をしていたことを暴露する。

入院したアンダースをプレストンとヘレンが見舞う。皆、憑物が落ちたような表情で存在を確認し合う。ヘレンは自宅を売り、プレストンは一人暮らしを始める。アンダースはバーバラを家に呼び、手料理をふるまう。そのダイニングには洒落た水槽が置かれ、亀が楽しそうに泳いでいる。

(引用終)

 

  

 この映画の主人公アンダース・ヒルのように、ほんとうの自分を取り戻そうとして、単純に仕事を辞め家庭を捨てても、相変わらず同じ世間の中にいるのだから、人生を一転させる自由など絶対にやってこない。

このような愚かな自分探しの旅のおおかたは、自分の居場所がなくなって困窮したあげく、前より酷い境遇に落ち着くことになる。

 

 

 

同様の課題を別角度から描いた「バニラ・スカイ

Vanilla Sky - Intro Scene HD - YouTube

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 2001年トム・クルーズ主演「バニラ・スカイ」は、

1997年スペイン映画「オープン・ユア・アイズ」の

ハリウッドリメイクだ。

キャッチコピーは

あなたが想うあなた自身は幻に過ぎない…

 ウィキペディアバニラ・スカイ」ストーリー

より引用させていただきます。

 殺人容疑で逮捕された仮面の男・デイヴィッドと、精神分析医マッケイブの取り調べ室での会話を軸に、ストーリーは進む。

出版界の王様と言われていたデイヴィッドの父・デイヴィッド シニアが交通事故で死亡し、父の経営する大手出版社の株式51%を引き継いだ富豪で若き実力者でプレイボーイのデヴィッドは、自分の誕生日パーティーで親友・ブライアンの恋人のソフィアに一目惚れしてしまう。それに気付いたデイヴィッドのセックスフレンド・ジュリーは、嫉妬のあまり彼と共に自動車事故による無理心中を図ろうとするが、未遂に終わる。

運転していたジュリーは死亡し、助手席にいたデヴィッドも重体で3週間の昏睡から目覚めると、ハンサムだった彼の顔は、事故のせいで見るも無惨なものになっていた。この事故を契機に、デヴィッドの部下7人の老いた重役たちは会社を乗っ取ろうと策略をめぐらすが、醜くなった顔のせいでデヴィッドの性格も段々と歪んでいく。

(引用終) 

 

そのオリジナルスペイン映画「オープン・ユア・アイズ」

Abre los ojos escena final - YouTube

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 オープン・ユア・アイズ(目覚めよ)の真の意味とは?

目覚まし時計の録音声でないくらいは誰でもわかる。
そんな説明に映画を作ったりはしない。 

Vanilla Sky Deleted Scene And Alternate Ending (rare) - YouTube

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現実とは「悪い夢」だ

と気づいた者は、

自分で「良い夢」を作りがちだ。

(その時代のニーズに合った「良い夢」の作り手は世間の評判を得、その物語の依存者集団を支配する教祖になったりする)

 

 

なるほど、善い夢を見るのは、悪い夢を見るより幸福かもしれない。

しかし、その両方とも夢に過ぎないと気づいた者は、すべての夢から目覚めたいと願うだろう。
人生で一番の大事は、

夢の中で幸福でいることではなく、
夢から覚めることだからだ。

 

 

 

 

 

 

 


さて、ここまでは良い。

 

せっかくここまで間違わずに正しい道を進んできたのに、大多数の者は次の一歩で大きく踏み外し、あっという間に奈落の底にもろとも転落していく。
 

「目覚める」とは、結局

苦しい現実を喜んで生きようと自分で決心しなおすことだ

という、アホみたいな結論になる。
賢愚の別なくみんな口をそろえてそういう結論になる。
ここで紹介した映画も、すべてそういう結論になっている。
 

なんじゃそらそら!
 

 夢から覚めることが、単にまた最悪の現実に戻って全力でのめり込むことなんかであるはずないだろう。

ちょっと冷静に考えたらわかりそうなもんだろうに。

頭で考えるだけでブッダ直説の修行ができない輩の、あつかましい自己正当化に過ぎない。

 

「目覚める」とはそんなことではない。


ブッダの教えをよくよく聞けば、
「目覚める」の真の意味がきっとわかる。

 

 古今東西の様々な哲学と宗教は、貪瞋痴に苦しみながら貪瞋痴に夢中の人間が背に腹は代えられぬ必要からついた大嘘の百家争鳴に過ぎない。

 

 現代のように理性が尊ばれ、科学が発達し、合理的思考が興隆を極める時代になっても、なお依然として大多数の人々は、この種の嘘を求めている。

 

そのため、昔は思想家も単純で、嘘と気づかずついていた嘘が、今は、嘘と百も承知で、未熟な客のニーズに合わせてチープな劣化コピー商品を提供する怪しげな商売になっている。

 

曰く、

 

あなたは、ありのままでいいんですよ。そのままで救われています。あなたはとっくに悟っています。あなたは永遠不滅の魂で、けっして死にません。すべてはうまくいっていて、あなたのどんな願いも、すでにかなっています。

何の問題もないと今すぐ気づいてください。

それだけでAll OKなんですよ。

 

みたいな。

 

 

 

 

自分が聞きたいこと、言ってほしいことを、

ただ見透かして言ってるだけの人たらしを受け入れる。

 

 

 

 

言うほうも言うほうなら聞くほうも聞くほうだ。

加害者被害者の関係じゃなく、一種の相互依存・共犯関係で、

こういうのを割れ鍋に綴じ蓋と称す。

 

 

生きがいも悟りも救いも神も仏も、まるで街頭で受け取るポケットティッシュのように、100均で買えるありふれた商品のように、世間にネットにあふれかえっている。 

 


なんと悲惨なことだろう。

 

 

 

バートランド・ラッセル「宗教は文明に有益な貢献をなしたか」大竹 勝訳)

より引用させていただきます。

この苦痛の多い世界で、万事このうえなくうまく行っていると信じているひとは、彼の倫理的な価値をそこなわずにおることはできない。それは、常に、苦痛とみじめさとに言いわけをしなければならないからである。
(引用終)

 

 

 


 長年馴れ親しんだ生活と社会の無意味さに気づいたら、
在家の出家をする必要がある。


具体的には
「今ここに気づく」ヴィパッサナーの専心実行だ。

 

この決意ができないなら、
コネチカットにさよならを」

の主人公アンダース・ヒルのように、
バニラ・スカイ

のデイヴィッドがそうだったように、

無意味な生活と社会に、あらためて馴合う以外の選択肢はない。

 

 

サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること