哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

怖すぎる旧約聖書

旧約聖書の言葉を。

イザヤ書45・6~10 新共同訳)より引用します。


わたしは主、ほかにはいない。

光を造り、闇を創造し
平和をもたらし、災いを創造する者。


わたしが主、これらのことをするものである。

……







災いだ、土の器のかけらにすぎないのに
自分の造り主と争う者は。

粘土が陶工に言うだろうか
「何をしているのか
あなたの作ったものに取っ手がない」などと。



災いだ、なぜ子供をもうけるのか、と父親に言い
なぜ産みの苦しみをするのか、と女に問う者は。

(引用終。強調は私です)


旧約聖書このあたりは、ブッダの教えとの間に解消しがたい違いがある。

のみならず、旧約聖書はイエスキリストとの間にも解消しがたい違いがあると、おれは思う(新約聖書で、イエス自身が違いを否定しているので、お手上げなのだが)。


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(過去記事編集再録)