哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

「俺は」「俺の」と執着する者には1μの智慧もない。


テレビニュースで。
スマートフォンでスカートの中を盗撮した部長某(36)が迷惑防止条例違反の疑いで逮捕されたと。

またかよ!
 1年間に同じパターンのニュースが何度も流れてくる。しかも毎年。
なぜそんなにスカートの中を撮りたがる?
ほんとに全く理解できない。
いや、見たがる気持ちはわかるよ。
でも、そんなもん見たけりゃ、ネットですきなだけ厭きるまで見ればいいだけだろ。




…おそらく

俺妄想、俺のもの妄想が狂的に悪化した成れの果て

なんだろうなと想像する。


 「俺は、俺の」障壁!!




 「俺は、俺の」のせいで、自分で自分をどれほど悲惨なめにあわせてるか。

「俺は、俺の」のせいで、みな避けようもなく非業の死を自業自得にとげている。
だから、
「俺は」「俺の」と執着する者には1μ
(ミクロン)智慧もない。

他のなにより先に、この「俺は、俺の」障壁を崩壊させないと、人間は獣の世界から一歩も前に抜け出せない。








ターン・プッタタート(アーナーパーナサティの完全技法と自然法)より引用します。

 …智慧とは、何も「自分」「自分のもの」と強く捉えない、もっと強い言い方をすれば「俺は」「俺の」と執着しないということです。

 これはパーリ語で繰り返し語られた仏教の核心である項目です。何ものも、自分、自分のものと執着しない。ブッダは、この短い言葉は、八万四千項目あると言われる教えのすべてを包含している仏教の核心だと繰り返しています。八万四千項目すべてはこの短い「何ものにも、私、私のもの、と執着しない」という一語に集約されてしまうのです。

 教えのすべてを一つにまとめたらどのようになりますかと、質問する人があったとき、ブッダはそう答え、更にこれを聞いただけですべての項目を聞いたのと同じ、この項目を実践するならすべての項目を実践したのと同じ、この項目の結果はすべての項目の結果と同じと付け加えました。

(引用終)



ターン・プッタタート(そうすればハナから死んでいる)より引用します。

どんなことも愚かさほど熱くはありませんが、人は知りません。…
昔式の医学で「内熱」と言います。普通の人は熱く感じません。触っても熱くありませんが、その方面の知識があれば非常に熱いということが分かります。内部が熱くて、体は熱くないのに死にます。…痴、無明は内部の深いところで熱くなっています。それは欲情の燃料であり、いつまでも怒りを作り出します。…濡れて冷たい火に注意してください。炎を上げて燃える火よりも熱いです。「俺、俺のもの」は深奥部にある濡れた火、内熱です。

(以上、引用終)




 →ターン・プッタタートの著作および翻訳



壁の壊し方は
ブッダに訊いてくれ。



 ただし、
壁の壊し方でインチキして、半端にやるとたちまち最悪になるので要注意。

責任を回避しながら私欲を満たす、さもしい手段として滅私奉公等の無我風言辞を用いる。
中途半端に自分を捨てる人間は、ガリガリの利己主義者より、はるかに社会に害をなす。


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(過去記事増補編集再録)