『Pressure/プレッシャー』予告編
上記YouTube情報より引用させていただきます。
ソマリア海域。海洋調査船が石油のパイプラインの故障を発見し、4人の潜水チームがダイビング・ベルに乗り込み作業をすることになった。水深200m地点で順調にパイプ修理を行っていたが、急な嵐により母船との連絡が途絶えてしまう。4人は母船の助けを待ちながら、ベルの周りを確認すると、そこには母船に乗っていた作業員達の死体が浮かんでいた。――母船は嵐により沈没し、完全に孤立してしまった4人。頼みの綱がいなくなり、酸素の残り時間も迫るなか、果たして彼らは生き延びることができるのか?
人はなぜ
監禁系映画
に魅かれるのか。
人生が正にそういうものだからだ。
人は生老病死の運命を知っており、何とかしてこの深刻な極限状況から脱出したいと願っているからだ。
人生が正にそういうものだからだ。
人は生老病死の運命を知っており、何とかしてこの深刻な極限状況から脱出したいと願っているからだ。
- 中学生の頃、大江健三郎の初期短編集に魅かれ、貪るように次々読んだ。
- それらの短編は全てひとつの共通した味わいを持っていた。
- おれはその味に魅了されていたのだが、それが何かはわからなかった。
- そのあとで大江自身が見せた種明かし
- 「…監禁されている状態、 閉ざされた壁の中に生きる状態を考えることが、一貫した僕の主題でした」
- を読んで、初めて、自分が「監禁」アナロジーに非常に強い関心を持っていることに気づかされた。
- その関心は今も続いている。
- ……そして今観終わった『Pressure/プレッシャー』も、おれは監禁アナロジーとして観てしまう。
-
- 人間が監禁されている部屋は2重3重~X重構造になっている。
- 監禁部屋からやっと脱出しても、それは一つ外側の監禁部屋に入ったに過ぎないのだ。
- そのもっとも外側で、
人間は
「生きんとする盲目の意志」世界
に閉じ込められている。
貪瞋痴のバグに翻弄される
いかれたシステム内
から出られず悶え苦しんでいる。(ブッダはここから脱出した)
だから人間は「監禁」アナロジー話が他人事とおもえず強く魅かれるのだとおもう。
しかし大多数の人々は、おぼろげに願っているだけで、その実なにもしない。
「その瞬間」に襲われるまでの間、日常的に監禁系映画など見て、のん気に過ごすだけだ。
(ブッダ 神々との対話3篇3章5節・山の譬喩 中村 元訳)より引用させていただきます。
(釈尊はパセーナディ大王に説かれた)
(釈尊はパセーナディ大王に説かれた)
虚空をも打つ広大な岩山が、四方から圧しつぶしつつ、追ってくるように〈老いと死〉とは、生きるものにのしかかる。王族、バラモン、庶民、隷民、チャンダーラ、下水掃除人であろうと、いかなるものをも免除しない。すべてのものを圧しつぶす。
そこには、象軍の余地なく、戦車隊や歩兵隊の余地もない。
策略による戦いによっても、財力によっても、勝つことはできない。
それゆえに、賢明な人は、自己のためになることを観察して、
ブッタと法と集いとに対する信仰を安住させよ。
そこには、象軍の余地なく、戦車隊や歩兵隊の余地もない。
策略による戦いによっても、財力によっても、勝つことはできない。
それゆえに、賢明な人は、自己のためになることを観察して、
ブッタと法と集いとに対する信仰を安住させよ。
(引用終)
70歳台になった自分を顧みて、つくづくおもうのは、
おれのような平々凡々たる人間は、さあいよいよ死ぬというその時が来ないとホントの本気にはなれないということだ。
虚空をも打つ広大な岩山が、四方から圧しつぶしつつ、追ってくるように〈老いと死〉とは、生きるものにのしかかる。
さあいよいよ死ぬというその時に気づいても、すでに体力も気力もすっかり失せていて指一本動かすことさえできず、何もかも手遅れでただ愚かに死んでいく。
それが大多数の人間のありのままの事実だ。
それゆえに、賢明な人は、自己のためになることを観察して、
ブッタと法と集いとに対する信仰を安住させよ。
まだ体力気力が残っているうちに、これに気づきホントの本気になるかならないかに、人生のすべてがかかっているとおもう。
おれのような平々凡々たる人間は、さあいよいよ死ぬというその時が来ないとホントの本気にはなれないということだ。
虚空をも打つ広大な岩山が、四方から圧しつぶしつつ、追ってくるように〈老いと死〉とは、生きるものにのしかかる。
さあいよいよ死ぬというその時に気づいても、すでに体力も気力もすっかり失せていて指一本動かすことさえできず、何もかも手遅れでただ愚かに死んでいく。
それが大多数の人間のありのままの事実だ。
それゆえに、賢明な人は、自己のためになることを観察して、
ブッタと法と集いとに対する信仰を安住させよ。
まだ体力気力が残っているうちに、これに気づきホントの本気になるかならないかに、人生のすべてがかかっているとおもう。
(My Favorite Songs)