哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ピクニックは道中も楽しい


 ティク・ナット・ハン師が


…ピクニックは、目的地に行く道中も楽しい、テント張りも楽しいでしょう、労役だと感じないでしょう。同じように平和、幸福、成功にたどり着く道中の「今ここのサティも楽しく行えるのです。

と、法を説いてくれている。

 おれは休日などゆっくりできる朝目覚めると、そのままベッドで「(腹部)膨らみ、膨らみ、縮み、縮み」とやる。呼吸を活用した「今ここのサティだ。

そのうちだんだん気持ちよくなってくる。

そうなると、がぜん楽しくなり、いつまでも続けたくなる。

 心地よい状態を、卵を抱くように守りながら静かに起き上がり、小便をすませ、ベッドに静かに戻り呼吸瞑想を続ける(最高に調子よくても、3時間くらいで背中が痛くなるので、止めることになるが)


 この気持ちよさは、セックスの快感やおいしい物を食べる快感…要するに本能の満足による快感とはぜんぜん違うものだ。


 そうなるまでに30分~1時間ほどかかるし、いつも上手くいくわけでもないのだが、もしこの「ご褒美」がなかったら、多分とっくに瞑想を止めていたとおもう。

 気持ちよくなるのが瞑想の目的ではない。
この点はじゅうぶん注意が必要だが、なにごとも苦しいだけでは続かないということだ。

 

いつも安定して瞑想に入れるように早くなりたいものだ。
そして、

 

この気持ちよさのさらに先の世界

 

に進みたいと切実におもう。




 

 

(My Favorite Songs)  

 内藤洋子。

「白馬のルンナ」

 

このレコードが発売された当時、同級生でこの曲を熱狂的に好きな男がいたので印象に残っている。おれはぶりっ子ブリブリの歌作りへの反発が先にたって、いまいち好きじゃなかったが。


内藤洋子 白馬のルンナ 1967 歌詞付

 

 

 

(過去記事統合増補編集再録)