哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

横たわる瞑想


 サティ(気づき)を入れれば行住坐臥(ぎょうじゅうざが)すべてがヴィパッサナー瞑想になる。

ということは、「歩く瞑想」「立つ瞑想」「坐る瞑想」以外に、当然「横たわる瞑想」もあるわけだ。

腰痛持ちのおれは、坐る瞑想を長く続けることができない。

それで、リクライニングチェアに横たわってヴィパッサナーを試みている。

これだと、体のどこも痛くならず、比較的長い時間、静止した状態を楽に続けられる。

「膨らみ」「縮み」とヴィパッサナーをやってるうちにうっかり寝入ってしまうこともあるので注意が必要だが、「坐る瞑想」ができなくて悶々としているよりは、さっさと気楽にできる「横たわる瞑想」を回数多くしたほうがいい。



ちなみに、アーナンダ長老は横たわる瞑想中に阿羅漢果(あらかんか)を得たそうです。

 

サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること

 

※ アーナンダ【阿難陀】《(梵)nandaの音写》
釈迦の十大弟子の一人。
師の説法を最も多く聞き、多聞第一とよばれた。記憶力にすぐれ、経典の第一結集(けつじゅう)の際に多くの経説を復唱したという。阿難。(大辞泉

※【阿羅漢果】
阿羅漢に到達した境地。この境地に至ると、迷いの世界を流転することなく涅槃(ねはん)に入ることができるとされる。(大辞林


 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

   (My Favorite Songs)

 遥か昔の思い出の2曲。レコード擦り切れるまで聴くほど好きだったが、今おもい返してみると、おれはウィルマ・ゴイクやマージョリー・ノエルが何者なのかについてまったく興味がなかった。

YouTubeですぐ本人の動画が見れる今なら、違っていただろうけど。


ウィルマ・ゴイク
「花のささやき」


WILMA GOICH In un fiore 1966

 

 

マージョリー・ノエル
「そよ風にのって」


マージョリー・ノエル そよ風にのって(日本語)1966 / Je Te Dis Mon Age

 

 

(過去記事統合増補編集再録)