哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

1+1=2並にはっきりした話。苦に夢中なら苦から解脱できっこない

 大多数の人間は、煩悩が苦でしかないと知っても、煩悩を渇望することを決して止めない。

煩悩に動かされないでいるとすぐに耐え難い退屈という禁断症状に苛まれる煩悩中毒だ。

全身全霊で五蘊の奴隷になっている。

さらにその煩悩中毒者の自分達を誇っている。


こんな苦に夢中の人間は当然苦から解脱できないと、ブッダは明言している。

 

1+1=2並にはっきりした話ではないか。

 

(相応部カンダヴァーラヴァッガ 17巻39頁64項)HP「ターン・プッタタート」ブッダの言葉による四聖諦・完全版『五蘊は知り尽さなければならないもの』より引用させていただきます。

 

 比丘のみなさん。形に夢中になっている人は、
その人は苦であるものに夢中になっているのと同じです。
私は「苦であるものに夢中になっている人は、
当然苦から解脱できない」と言います。

 比丘のみなさん。受に夢中になっている人は、
苦であるものに夢中になっているのと同じです。
私は「苦であるものに夢中になっている人は、
当然苦から解脱できない」と言います。

 比丘のみなさん。想に夢中になっている人は、
苦であるものに夢中になっているのと同じです。
私は「苦であるものに夢中になっている人は、
当然苦から解脱できない」と言います。

 比丘のみなさん。すべての行に夢中になっている人は、
苦であるものに夢中になっているのと同じです。
私は「苦であるものに夢中になっている人は、
当然苦から解脱できない」と言います。

 比丘のみなさん。識に夢中になっている人は、
苦であるものに夢中になっているのと同じです。
私は「苦であるものに夢中になっている人は、
その人は当然苦から解脱できない」と言います。

(引用終)






(以下、ショーペンハウアー「幸福について」2 橋本文夫訳より引用させていただきます)

人間の幸福に対する二大敵手が苦痛と退屈である…
この二大敵手のどちらか一方から遠ざかることができればできるほど、それだけまた他方の敵手に近づいている…

困苦欠乏が苦痛を生じ、これに反して安全と余裕とが退屈を生ずる。…
文明の最低段階である流浪の生活が、文明の最高の段階に見られる漫遊観光の普及を通じて再現されている。流浪の生活は困苦のために、漫遊観光は退屈のために生じた。

(引用終)



週末のアウトドアレジャーなどにも、そういう奇妙な再現があると思う。

ショーペンハウアー(同)
われわれの実際の現実生活は、煩悩に動かされるのでなければ、退屈で味気ないものである。さりとて煩悩に動かされれば、忽ち苦痛なものになる。
(引用終)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (My Favorite Songs)   

とうとうレナウン倒産しちゃった。

弘田三枝子の「ワンサカ娘」
おれ、このCMソング、

異常に好きだったな。 


ワンサカ娘'64

 

 (過去記事統合増補編集再録)