哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

この世でなす善悪だけが、人の所有するものとなる


瞑想に励んで、ついに非想非非想処(ひそうひひそうじょ)を体験するよりも、

諸悪莫作 衆善奉行(しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう)

の教えひとつを信じて生きるほうがはるかに優れていると、おれは思う。


※『非想非非想処
釈尊が出家してすぐに到達したきわめて高度な瞑想状態。

※『諸悪莫作 衆善奉行
諸々の悪を為すことなく、もろもろの善を行い、自ら心を浄くせよ、是が諸仏の教えなり。(七仏通誡偈)の前半部。






ブッダ 神々との対話 中村 元訳1・4)より引用します。

死に襲われて、人間としての生存を捨てつつある人にとっては、何が自分のものであろうか。

かれは、何を取って、行くのであろうか。

何が、かれに従うものであろうか。

ーー影がそのからだから離れないように。

人がこの世でなす善と悪との両者は、その人の所有するものであり、人はそれを執って〔身につけて〕おもむく。

それは、かれに従うものである。

ーー影がそのからだから離れないように。


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(過去記事再録)