哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

世の中を暗くいやらしくする獣的人間

イメージ 1

 昔、職場で「何を言ったかじゃなく、誰が言ったかで判断する人間は最低だ!」と怒ったことがある。
周りの反応は鈍いものだろうと、言う前から予想はついたが、それでも言ってしまうときもあった。

 武田邦彦先生のエッセイ「何を言った」より「誰が言った」という社会は、正にわが意を得たりの内容。
ぜひ聴いてください。一人二人でも聴いて理解すれば、(武田先生が言われるように)その分だけ世の中にいやらしさが減って、明るさが増えるとおもうので。


「何を言った」より「誰が言った」という社会 / 武田 邦彦



 以前NHKのドラマ「TAROの塔」を観た時、このことに関して他人を怒る資格がおれにないことに気づいた。最近(再放送だったとおもうが)NHK Eテレ先人たちの底力 知恵泉 岡本太郎 万博への道」を観て、あらためて思い返した。


もう何十年も前になるが当時おれは、岡本太郎が万博プロデューサーを引き受けたニュースを聞いて、わけもなく軽蔑感をもった。この記憶は今でもはっきりしていて、思い出すたびに苦い味がするので困る。

おれは、自分で調べ考え判断する代わりに、まわりの空気を読み、はしこく適応して済ます獣的人間の一人だったってことだ。
何を言ったかじゃなく、誰が言ったかで判断する」というのもそういうことで、おれも同じことをしていた。
しかも、いまだにこの種の獣性から縁が切れないでいる。

記憶が苦いのはそのせいだ。

https://philosophy.blogmura.com/img/philosophy88_31.gif
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ(文字をクリック)

(過去記事統合編集再録)