哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

仏説は外道となにが違うのか

 7月20日の記事言語はアートマンが神となる構造をもっているに、
…中でもバガヴァッド・ギーターの教えは(仏教と)類似点が多い。
と書いた、その補足です。



 『バガヴァッド・ギーター』は荘厳なるものの歌、の意で、人格神への信愛の道を説くヒンドゥー聖典です。
ブッダは人格神を説かなかったので、根本的に違うのですが、個々の具体的な教えレベルでは似ています。

類似点をいくつか。


(バガヴァッド・ギーター6・5宇野 淳訳)
心によって自己を向上させるべきであり、自己をおとさしめてはならない。
心こそは自己の友であり、また心こそ自己の敵であるから。



(同6・6)
自ら心に打ち勝った者にとって、心は自己の友である。
しかし、心に打ち勝たない者にとって、心は敵のように反抗する。



これは、先行するブッダの教えと、ほとんど同じです。
[160812追記]
バガヴァッド・ギーターは仏教その他の教えを取り込んで一応完成した4世紀までに、無数のバージョンがあり、その主張は新旧入り混じっています。[追記終]

ブッダ
心は人に従うべきで、人は、心に従ってはならぬ。
と説きました。


ブッダ 仏教聖典 法句抄17)
自己の主人は、自己自身である。他に主人があろう筈がない。自己を制してこそ、得難い主人が得られるのである。


ブッダの感興のことば31・10 中村 元訳)
母も父もその他の親族も、正しく向けられた心が自分のためにしてくれるほどの益をしてはくれない。

(同31・9)
憎む人が憎む人にたいして、怨む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪(よこしま)なことをめざしている自分の心が自分に対して自分でなすほどには、それほどひどいことをしない。


優れた仏教僧ターン・プッタタートは家で出家する
 自然の法則で正しくすれば、自然に結果が出て来、期待ですれば散漫になります。簡単な例は、宝くじを買っても期待で精神病にならないで、買ったら買っただけにし、時が来たら当たっているか外れたかを調べます。しかしこういうのが好きじゃない人がいて、買ってくるとバカになって期待し、座って期待し、寝ても期待し、最後には本当に神経の病気になります。…
 …『幸不幸は神様が作るのではありません。幸不幸は古いカンマによって生じるのでもありません。そして幸不幸の原因はないのではなく、原因はあります。原因は、因果の法則で正しく行動したか、誤って行動したかであり、因果の法則に反した行動をすれば苦が生じ、間違わなければ苦は生じません。…』
と、ブッダの教えを説いています。

バガヴァッド・ギーター2・47.49に類同の教えが
おまえの関心は行為のみにあり、決して行為の結果にあってはならない。…
結果を(行為の)動機とする者はあわれむべき者である。

と、端的に見事に説かれています。

 個々の教えだけでは優劣どころか区別さえつき難い。
重要なのは、繰り返しになりますが、
ブッダアートマンを説かず梵我一如を説かなかったということです(言語はアートマンが神となる構造をもっている
ブッダだけが
わたしが説かないことは説かないと了解せよ。 わたしが説くことは説くと了解せよ。
と明言することができた。

すべてを完全に知っていたブッダでなければ、こうは言えないのです。


(過去記事統合増補編集再録)