哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

気づきの瞑想「四念処‐身・受・心・法」

朝食。

パンに塗るジャム等なにもない。バターもないので

砂糖だけで作ったシュガートースト。

パリパリ食感がいい。

【七輪】悪魔のシュガーバタートーストがうますぎる! #asmr #recipe #bbq - YouTube

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昼食。

チャリで隣町に行く途中のスーパー休憩室で自家製弁当。

 

 

夕食。

今日(15日)から「ささみかつ増量フェア」の松のやで。

 

 

 

ゆっくり食べながら聴くmp3は、

【瞑想の悩み】気づきは臨機応変に――四念処の実践方法 スマナサーラ長老との対話|ブッダの智慧で答えます(一問一答) - YouTube

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[感想]

ウィキペディア[四念処]より引用させていただきます。
……
身(kāye)について、身を観つづけ、正知をそなえ、気づき(サティ)をそなえ、世における貪欲と憂いを除いて住む。
受(ヴェダナー)について、受を観つづけ、正知をそなえ、気づきをそなえ、世における貪欲と憂いを除いて住む。
心(チッタ)について、心を観つづけ、正知をそなえ、気づきをそなえ、世における貪欲と憂いを除いて住む。
法(ダルマ)について、法を観つづけ、正知をそなえ、気づをそなえ、世における貪欲と憂いを除いて住む。
比丘たちよ、比丘はじつにそのようして、正念のものとなる。パーリ仏典, 長部 大念処経, Sri Lanka Tripitaka Project


ウィキペディア[釈迦]より引用させていただきます。
「…(自灯明・法灯明)ということはどのようなことか?阿難よ、ここに比丘は、身体について…感覚について…心について…諸法について…(それらを)観察し(anupassī)、熱心につとめ(ātāpī)、明確に理解し(sampajāno)、よく気をつけていて(satimā)、世界における欲と憂いを捨て去るべきである。」
「アーナンダよ、このようにして、比丘は自らを灯明とし、自らをより処として、他のものをより処とせず、法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処とせずにいるのである」
として、いわゆる四念処(四念住)の修行を実践するように説いた。

[以上引用終]

 

ブッダの説いた明晰で単純で深遠な気づき(サティ)の教えが、後年弟子によって増補詳言されて四念処が説かれ、三十七道品が説かれ…と徐々に込み入った教えになっていった。とはいえ、この辺まではよかった。……しかし、この宗教運動は最終的に在家信者を意図した大乗仏教の大流行になりブッダを至高神に祭り上げ拝み倒して詰んだ。

こんなことになるくらいなら、元の単純な気づきだけにとどまり注力したほうがいいとおもう。

 

サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

I'm Not in Love(10cc) - 桑田 佳祐 - - YouTube

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