【ブッダの瞑想】基礎から学び、やってみる ヴィパッサナー瞑想(初期仏教のマインドフルネス、気づきの実践)|アルボムッレ・スマナサーラ長老の瞑想指導 - YouTube
より引用させていただきます。
強調処理は私です。
19
たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。
──牛飼いが他人の牛を数えているように。
かれは修行者の部類には入らない。
72
愚かな者に
その念慮はかれの好運を滅ぼし、かれの頭を打ち砕く。
20
たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執著することの無い人は、修行者の部類に入る。
42
憎む人が憎む人にたいし、怨む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする。
43
母も父もそのほか親族がしてくれるよりもさらに優れたことを、正しく向けられ心がしてくれる。
104、105
自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。
つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、──このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない。
113
物事が興りまた消え失せることわりを見ないで百年生きるよりも、事物が興りまた消え失せることわりを見て一日生きることのほうがすぐれている。
166
たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。
自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。
174
この世の中は暗黒である。
ここではっきりと(ことわりを)見分ける人は少ない。
網から離れた鳥のように、天に至る人は少ない。
261
誠あり、徳あり、慈しみがあって、
237
汝の生涯は終りに近づいた。
汝は、閻魔王の近くにおもむいた。
汝には、みちすがら休らう宿もなく、旅の
238
だから、自己のよりどころをつくれ。
すみやかに努めよ。賢明であれ。
汚れをはらい、罪過がなければ、汝はもはや生と老いとに近づかないであろう。
239
聡明な人は順次に少しずつ、一刹那ごとに、おのが汚れを除くべし、──
※サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。
※ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること。サティをキープすること。
(My Favorite Songs)
Michael Sembello - Maniac (S.Martin Remix 2019) - YouTube
(過去記事再録)