明日明後日雨予報なので、天気のいいうちに運動のため、また隣町スシローへ。
初日ペラペラだった「税込100円大切りめばち鮪」が今日は週末のせいか普通に厚みがあり食べ応えを感じられて美味しい。
連続6皿食べる。
さて今日は
30年以上昔に読んだバガヴァッド・ギーターを耳で読みなおした。
耳で読む 「バガヴァッド・ギータ」1 アルジュナの悲哀-聴きものがたり - YouTube
耳で読む 「バガヴァッド・ギータ」2 知識のヨーガ-聴きものがたり - YouTube
耳で読む 「バガヴァッド・ギータ」3 カルマ・ヨーガ-聴きものがたり - YouTube
当時の自分の考えをまとめたものの中に、バガヴァッド・ギーターに関連して、こう書いてある。
自然的人間は、自身その一部分である自然の生きんとする衝動を肯定し身をゆだねる。子供から大人に成長しても、昔は無自覚でしていたことを今は自覚的にするくらいのことだ。
自然の盲目の意志さながらに激しく喜び激しく苦しむ野心家の生きざまが自然的人間の人生の究極の形である。彼らはときに口では否認しても心底では常に野心家の人生にあこがれている。興業的に成功する映画がほとんどすべてといっていいほど野心家の生きざまを描いたものである理由はここにある。
野心家は、個別性の迷妄を打ち破るにしたがって「正義の人」になる。
この傾向が大詰めまで進むといかなることになるであろうか。
ある人が他の個人と異なっていることとか、他の人が背負っている苦悩を自分は免れているといったことは、現象の形式、「個体化の原理」にもとづくことにすぎぬ。事柄の真の本質からみれば、人は誰でも生きんとする確たる意志であるならば、いいかえれば全力をあげて生を肯定しているのであれば、世界のありとあらゆる苦悩をわが身の苦悩とみなすべきであるし、それどころか今後起こり得るすべての苦悩をも、わが身にとって現実的な苦悩であるとみなさなくてはなるまい。(「意志と表象としての世界」より引用終)この境地こそ、生きんとする意志をあくまで肯定する地上的道徳の最高形式である。
この感情が宇宙大に拡大されて、小宇宙たる自分のエゴが実は大宇宙たる自然の大いなるエゴと一如であると理解するとき、人間は「意志の肯定」の最高段階まで登りつめたことになる。(引用終)
まだ、理解が足りず、その迷いが表現をあいまいにしていたと分かる。
バガヴァッド・ギーターは、自分の我を捨て神クリシュナの大我と一体化し、神の義務(殺人)を遂行せよと説いている。
これ、なんのことか分かります?
バガヴァッド・ギーターをでっちあげた
人間達
が、
権力者に「殺せ」と命令されたら、
ためらわず実行しろ
と、
絶対神を僭称して
命令しているに過ぎない。
帰路ダイソーで亜鉛サプリ5パック。牡蠣エキスサプリ1パック。
648円。
ラムーにも寄り、夜ごはん用に
味噌だれ豚生姜焼弁当184円(評価4)
ハムとキャベツのペペロンチーノ98円(評価4)
ポップコーン塩味大パック93円(評価4)
みんな激安なのに美味しかった。
(My Favorite Songs)
Caro Emerald Live - A Night Like This @ Sziget 2012 - YouTube