哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

「海底47m」人生はパニック・スリラー

以前紹介したパニック映画「海底47m」が今

GYAO!で無料視聴できます。

未視聴の方はどうぞ。8月30日(火)まで

海底47m【吹替版】

 

GYAO!タイトル情報より引用させていただきます。

想像してください。もしも檻に入れられ、海底に置き去りにされたら―この夏、あなたはもう海に潜れない。

メキシコで休暇を過ごすリサとケイト姉妹は現地の男友達から、海に沈めた檻の中から野生のサメを鑑賞する“シャークケージダイビング”に誘われる。臆病なリサは尻込みするが、好奇心旺盛なケイトに強引に押し切られ、挑戦することに。姉妹を載せた檻はゆっくりと水深5mの海へと降りていく。初めて間近で見るサメの迫力に大興奮の二人だったが、悲劇は突然訪れる。ワイヤーが切れ、檻が水深47mの海底まで落下してしまう。そこは、無線も届かない海の底。助けを呼ぶ声は届かない。急浮上すれば潜水病で意識をうしなってしまい、海中に留まればサメの餌食になること必至。ボンベに残された酸素はあと僅か。全てが極限状態の海底での脱出劇に、生還という結末はあるのだろうか!?

恐怖体験 - 海洋恐怖症の人は絶対に見ないでください | 海底47m | Netflix Japan - YouTube

 

 巨大な人喰いサメが泳ぎ回る海で、ケージに閉じ込められたまま水深47mの海底まで落下した姉妹の、サメの恐怖に加えて潜水病や酸素欠乏の危機を描く代表的パニック・スリラー。

 
 
 

 

人はなぜパニック・スリラーに魅かれるのか。


人生が正にそういうものだからだ。
人は生老病死の運命を知っており、何とかしてこの深刻な極限状況から脱出したいと願っているからだ。


ケージに閉じ込められ海底まで落下…(生)
迫る酸素欠乏の危機……………………  (老)
サメの恐怖や潜水病……………………  (病)
挙げ句の果てサメに食い殺される……  (死)


しかし大多数の人々は願っているだけで、その実なにもしない。

物語では人食いサメの恐怖から生還する夢を楽しむが、現実は死という恐ろしいサメに一人の例外なく食い殺されるのに。


「その瞬間」に襲われるまでの間、日常的にパニック・スリラーなど見て、のん気に過ごすだけだ。

 
 
 
ブッダ 神々との対話3篇3章5節・山の譬喩 中村 元訳)
より引用させていただきます。
ブッダはパセーナディ大王に説かれた)
 虚空をも打つ広大な岩山が、四方から圧しつぶしつつ、追ってくるように〈老いと死〉とは、生きるものにのしかかる。王族、バラモン、庶民、隷民、チャンダーラ、下水掃除人であろうと、いかなるものをも免除しない。すべてのものを圧しつぶす。
そこには、象軍の余地なく、戦車隊や歩兵隊の余地もない。
策略による戦いによっても、財力によっても、勝つことはできない。
それゆえに、賢明な人は、自己のためになることを観察して、
ブッタと法と集いとに対する信仰を安住させよ。
(引用終)
 
 
 
 
 70超えた自分を顧みてつくづく思うのは、
おれのような平々凡々たる人間は、さあいよいよ死ぬというその時が来ないとホントの本気にはなれないということだ。
虚空をも打つ広大な岩山が、四方から圧しつぶしつつ、追ってくるように〈老いと死〉とは、生きるものにのしかかる。
さあいよいよ死ぬというその時に気づいても、すでに体力も気力もすっかり失せていて指一本動かすことさえできず、何もかも手遅れでただ愚かに死んでいく。
それが大多数の人間のありのままの事実だ。

それゆえに、賢明な人は、自己のためになることを観察して、
ブッタと法と集いとに対する信仰を安住させよ。

まだ体力気力が残っているうちに、これに気づきホントの本気になるかならないかに、人生のすべてがかかっていると思う。

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (My Favorite Songs)  

Procol Harum - A Whiter Shade of Pale(青い影) 1967 歌詞 対訳 - YouTube

(過去記事再録)