191203の記事「安心なんてないさ」というほんとの安心で
法然上人は、
「ああ、今度こそ浄土にいきたいなあ」
といつも言っていた。
不安になった弟子が
「あなたほどの人がそんな程度では、わたしたちはどうしたらいいんですか」
と訊いた。
上人は笑って
「ほんとに浄土にいくまでは、この気持ちが消えるわけないさ」(以上)
と書いた。
これと通じることを、蓮如上人は次のように示してます。
心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、心得えたるなり。弥陀の御たすけあるべきことのとうとさよと思うが、心得たるなり。少しも心得たると思うことはあるまじきことなり。
(蓮如上人 聞書213より)
ちなみに、道元禅師はこの偉大な真理を
の一言で示しているとおもいます。
これらを観念的に(=言葉だけで)理解しようとすると微妙で困難な問題が生じます。
人間は安心を強欲に求める存在ですから、たちまち
(なんだ、安心できなくていいんだ)
(悟らなくてだいじょうぶなんだ)
と無法に「安心」してしまう。
これはもう
天地
最初のちょっとした思い違いが、
やがて天と地の差になってしまう(三祖 信心銘)
で、ブッダの教えからゆっくりと、しかし確実に離れてしまうことは避けられないとおもいます。
仏教数千年の歴史は、この残念な事実を実際に証明したとおもいます。
(My Favorite Songs)
ヨーコ・オノ。
抱いてソング「キスキスキス」
この曲、ぼろくそにいう人がいるらしいけど、おれは素晴らしいとおもう。
(過去記事統合増補編集再録)