哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

災いを転じて福にする この上ない超特大チャンス

 新型コロナは、空気感染が主たる感染経路と専門家が警鐘を鳴らしている。厚生労働省は27日、コロナ感染の自宅療養者が、11万8035人となったと発表。実際はさらに多い。狂暴化したデルタ株が全国で連鎖反応的に感染爆発を起こしている。

もうワクチンもマスクもあてにならない。

できる限り人に会わず、外に出ずステイホームしてるしかない。

じゃあ、これ間違いなく

 

災いを転じて福にする

この上ない超特大チャンス

 

でしょうよ。

 

ヴィパッサナー実践する。

アーナーパーナサティする。

坐禅する。

 

 

静寂の価値知ってる?
人間に生まれて、坐禅を体験せずに死んだら、

ものすごくもったいない。

わからなくても、あほらしくても、
一度はやっとけ。

今はスマホ坐禅アプリまであるし。

 

禅 -The ZEN- - YouTube

坐禅の作法』(製作 曹洞宗近畿管区教化センター)
本格的な道場での入堂から坐禅の終りまでを解説。合わせて、手の形、足の組み方、呼吸法など作法の細かい解説も行います。

 

 昔一時、おれが坐禅しに通っていた寺は曹洞宗だったので(警策こそなかったが)作法のおおすじはこの動画と同じで、丸い坐蒲に面壁で坐った。
逐一直角に歩いたり合掌したり礼したりしてから坐る映像が懐かしい。

 

 

 

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 昔、パンヤ綿だけ買ってきて、母に渡し、作ってもらった坐蒲(ざふ)です。
おれにとって、もっとも身近な母の形見となっている。
 
 坐蒲とは坐禅用クッションのことで、これは曹洞宗仕様です。
 
パンヤをめいっぱい詰めて硬く仕上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 家で一人でやってるうちに、法界定印はいつの間にか止めて、自然に両手を軽くにぎりあわせるだけになった。

後で調べたら、この形は白隠と通称されていて、曹洞宗では原則やったらダメらしい。
 
数息法は高祖が明確に否定してるので曹洞で不人気で、寺でも薦める人はめったにいなかった。古参の在家に一人だけいたが、おれも当時やるべきでないとおもってたので、反感しか持たなかった……が、今は愛用している。
だから、あの人を思い出すと申し訳ない気持ちになる。
数息法も白隠流も初心者向けだと、自明のことのように決めつける人がいるが、悟った人間があちこちにいるわけじゃなし、あんたどの立場で云うとんやとおもう。
本当に必要なのは、古式をゆかしく守ることではない。
 

スマナサーラ長老の明快な法話YouTubeにupされてます。

 

たとえば、

サティを現前に据えます

光明寺経蔵で「前面に念を起こして」と和訳されている部分)

とは、どういう意味でしょう。

 

「意識を顔の前に持っていけ」

「鼻先に集中せよ」等

 

の古式ゆかしい解釈が、日本では昔から疑われず、今でも我が物顔で通用してる始末だが、

実は大間違いで、

ブッダはそんなトンチンカンなことを説いてるんじゃないと。prominent factorですと。(26分頃)

目からうろこの体験となる、素晴らしい内容となっています。

是非お聴きください。


ブッダの呼吸瞑想――呼吸の気づきから覚りに達する道(相応部「一法経」を読む)|スマナサーラ長老のパーリ経典解説(22 Nov 2020 ゴータミー精舎からライブ配信)

 

 

 


 アーナーパーナサティは坐禅堂のようなそれらしい場所に行って足を組んで座り、体を真っ直ぐに維持しないとできないのかというと(本格的にやろうとすれば、確かにその通りなのだが)始めのうちは、そう限らなければいけないものでもない。形式を墨守して回数を減らすよりも、ほんの少しの機会も疎かにせずに、呼吸を意識しようとする気力が大切だとおもいます。

 
使得十二時=
マインドフルネスの打成一片