猿のようにあちこちに飛び回る心を、サティとヴィパッサナーで自分に縛り付けておくのは、人生の最重要事項
正念相続
を守るためだ。
しかし日々トラブルが絶えない四苦八苦の人生で、常に落ち着いた心を保つ正念相続など不可能ではないか?
もし人生が、泣かないでいられないほど辛いこと悲しいことが、本当に起こるものなら正念相続は誰も、たとえブッダといえども守れるわけがない。
しかし、この人生は[俺、俺のもの]の夢、幻に他ならない。
これは仮にそう思ってみろというのでない。
事実だ。
そのおかげで、この第一義を達成することが可能になっている。
悟った後のブッダが、
泣いて悲しむ姿を想像できるだろうか?
我々は、悟っていないので、嫌なことが身に降りかかると、泣いたり喚いたりせずにいられない。
正念相続は、毛ひとすじの影だにない。
それでも、ブッダの態度こそ、すべての人間の正しい姿だという事実に変わりはない。
泣いたり喚いたりした後でもいい、そのことをチラッと思い出すだけで、人生はだいぶ違ってくる。
おれはブッダの教えを好んで聞くが、理解しきれない、しかしずっと気にはなっている。そういう「聞法レベル」から長く抜け出せないでいる。
それでも、チラッと思い出すとクールダウンが可能になる。それは、人生の奈落の崖っぷちで正気に戻りUターンする稀有な能力になる。
【200217追記】
[もし人生が、泣かないでいられないほど辛いこと悲しいことが、本当に起こるものなら正念相続は誰も、たとえブッダといえども守れるわけがない。しかし、この人生は[俺、俺のもの]の夢、幻に他ならない。これは仮にそう思ってみろというのでない。事実だ。]
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
これに疑問がある人は、下の動画59分10秒あたりの質問
「人生において深刻に受け止める問題はないって考えて良いか」
に対するスマナサーラ長老の答えを聴いてみてはどうでしょう。
スマナサーラ長老は、質問者を認めながら、それはそれでいいから、とにかく、俺、俺のもの妄想をなくすためにヴィパッサナー実践に一生懸命励みなさいって教えてるとおもいます。
人生の目的は、ほんとにそれしかないとおもいます。
(おまけ)
Footloose - Kenny Loggins {HD}
(過去記事統合増補編集再録)