哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

毒まじりの善


 以下のごとく自ら反省せよというのだが…いささか自虐的に過ぎるのではと、ちらっと思ってしまう。



外に賢善の相を現してはならぬ。内に虚仮を懐いている身である。貪瞋(とんじん)邪偽(じゃぎ)奸詐(かんさ)(いとぐち)さまざまで、その悪性の止め難きこと蛇蝎(だかつ)の如き我等である。

かかる身に(おい)ては、善というも雑毒であり、行というも虚仮(こけ)である。真実の業とはいわれない。

それ故にその安心、起行(おこない)は、たとえ晝夜(ちゅうや)を分たず、(あたか)も頭上の火を(はら)うように心身を苦励(はげま)しても、すべては雑毒の善である。

口語訳教行信証付領解 金子大栄著)

<原文>
外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて、貪瞋邪偽、奸詐百端にして、悪性侵め難し、事、蛇蝎に同じ。

三業を起こすといえども、名づけて「雑毒の善」とす、また「虚仮の行」と名づく、「真実の業」と名づけざるなり。

もしかくのごとき安心・起行を作すは、たとい身心を苦励して、日夜十二時、急に走め急に作して頭燃を灸うがごとくするもの、すべて「雑毒の善」と名づく。
親鸞聖人 教行信証・信巻)