「理屈で分かっていなくても、実際の言動に間違いがなければそれでいい」という。意識しようとしまいと行為が正理に適ってるなら問題ないわけで、意識化は必須事項じゃないと。
おれには、あいにくそれが不可能だ。自分が無意識で信じてることを、意識化し言語化し理屈で納得することが、自分にはどうしても必要だった。理屈で押さえてないと、たやすく周囲の空気に左右され間違ってしまうからだ。それに、正理に適った行為をして、なおかつそれを言語化できれば、利他行にもつながるかもしれない。
人間は自分が見たいものしか見ないし、しかも見たいようにしか見ない。見たくないものを見ざるをえない場合も、自分に都合よく甚だしく錯視する。
ほんとの本心は、死ぬまで自分自身にも教えないのが人間だ。
人生問題は事務的に処理すれば足りる。真の問題は生死問題のみとおれはおもう。これは世間と真逆だ。
自分の生きる意味を問う。得られた答えはなんと「無意味!」
大いなるものを信じ
自信を持ち
希望を失わず
今この瞬間を
大切に生きる。
最初無知によってやむをえずひとまずの不可知論者だった自分。そこから抜け出したいと何十年と考えつづけ、もうこれ以上一歩も進めない行き着いた先が、不可知論。無知の不可知論とは違うが、やはり不可知論。
(My Favorite Songs)
Coaches "Come Together" - The Voice