哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

悟りに必要な最低限の知識「消えていかないものはなにもない」

悟りに必要な最低限の知識|スマナサーラ長老の切り抜き法話 - YouTube

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動画よりスマナサーラ長老の言葉を引用させていただきます。

なにか現れたら、それは必ず消える

それだけおぼえてください。

森羅万象なんであろうとも

過去現在未来なんでも

現れたら消えます。

その理解は、預流果よるかって言うんです。

シンプルでしょ。

消えていかないものはなにもない。

 

 

預流 - Wikipedia

よりブッダの言葉を引用させていただきます。

地上における一国の王になることよりも、天上に至ることよりも、この世界の君主になることよりも、預流果よるかのほうが優れている。

—ダンマパダ, 178

 

 

[感想]

人々は「無常は難しくない。分かる」と言い「すべて無常」を口先で簡単に認めるが、
「人生は無意味。一切は無価値」と聞くと「とんでもないことを。それは最悪のニヒリズムだ」と嫌悪し認めない。

また「人間皆死ぬ、そんなの常識」と言うくせに、自分が死ぬとは知らない。

死とは「人はみないずれ死ぬものだ」ということではない。そんなよそごとの話じゃない。
死とは、自分が、今、死ぬことだ。
こう言うと、おおかたはわからない。

仏教の本質は修行にある。それを考えればわかるかも。
「頭燃を払う」という。
頭についた火を必死で消すように修行しないなら、そんなものは修行ではないとブッダが教えているのはなぜか、一度真剣に考えてみるべきだ。

いつか死ぬのはわかってるが、今日明日の話じゃないとおもってるなら、どれだけ長生きしたところで、タイムリミットが来てアウトになる、大まぬけのパターンだ。

ことさらに自分が今死ぬとおもえ、ということとはまったく違う。
修行のテクニックや処世術じゃない。

そうではなくて、それが死ということの眼前の事実だ。

 


また「無常は認める」という彼らが「無常なるは苦なり」は認めてない。だって花火も シャボン玉も 楽しいからだ。

「自分」だけは無常じゃない

と妄想してる彼らは

自分のことは棚に上げて

無常を楽しがれるのだ。

 


同様に、無我を決して認めない。

この世界でこの上なく確実なものは「自分」だ

という沈潜した妄想があるからだ。

 


世間知は、

無我を蛇蝎のごとく嫌ってる。

「無常は苦」も蛇蝎のごとく嫌ってる。

無我と苦を断固拒否することで

無常の事実も拒否してる。

分かった気でそつなくふるまう自分のヤバさに、気づかない。口先で「無常くらい知ってるわ」と言うことによって、預流果から最も離れていく。

 

 

石火電光、目の前なれども、無常幻化なる事をしらず。
(鈴木正三禅師 盲安杖)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs) 

ZZ Top - Gimme All Your Lovin' (Official Music Video) [HD Remaster] - YouTube

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