哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

「X-ミッション」不死の魂という 根源悪の妄想

 

アクション映画の秀作「X-ミッション」は、雄大な絶景の中で次々繰り出される、CGなしの見事なアクションシーンが評判になった映画だ。

 

ウィキペディア「X-ミッション」ストーリー
から引用させていただきます。
元エクストリーム・スポーツのアスリートという経歴を持つ新米FBI捜査官のジョニー・ユタは、謎の犯罪者集団の調査を命令される。犯人達は常人には真似できない危険かつ大胆な方法で犯行を行い、盗んだダイヤや現金はそのまま貧民街にバラ撒くという、目的も一切不明の集団であった。ユタはFBIに認知されていない彼らの犯行がもう1件あることを見抜き、さらに彼らが「オザキ8」と呼ばれる8つのエクストリーム・スポーツに擬えて犯行を行っていることに気づく。

次に彼らが現れるポイントを予測しフランスを訪れたユタは、4つ目の大波の試練に挑戦するも失敗し、死にかけたところを同じく大波に挑戦していたボーディに助けられる。アスリート達からカリスマ的人気を誇る彼は、かつてのアスリート時代のユタを知っており、ユタは彼が事件に絡んでいると知りつつも潜入捜査という形で行動を共にし交友を深めていく。

時に仲間の死を迎えながらも、オザキ8を攻略していくユタとボーディ達であったが、次に金鉱を爆破すると知らされ、ユタはFBI捜査官の正体を明かして止めようとする。しかし、ボーディは止まらず、計画通りに土砂で金鉱を埋め、ユタの追撃を振り切って逃走する。ボーディ一味が犯人と特定されたことからFBIも本腰を入れて捜査にあたり、彼らの資金源を断つが、ボーディは銀行強盗を行い仲間の犠牲を出しながらも成功させる。

7つ目の試練をFBIの捜査が入れないギアナ高地のエンゼルフォールで行うと予想したユタは単身でボーディの後を追う。2人は共にエンゼルフォールを上り、ユタは改めてボーディの説得を試みるが、ボーディは拒否しユタを道連れに滝壺へダイブする。辛くも生きのびたユタは、見つからないボーディもまた生きていると確信する。

1年5ヵ月後、ハワイ沖。大波がうねる嵐の海上で、ユタは失敗した4つ目の試練のためにボーディが現れると読み現地にやってきていた。予想通りやってきたボーディに再度の説得を試みるユタであったが、ボーディの意思は固く、ユタは説得を諦める。そしてユタは、大波に挑戦し飲まれ消えていくボーディを眺めていた。

 
 
この映画でおれが注目したいのは、ボーディをリーダーとする犯罪者集団が信奉してる、自己流に解釈したヘンテコな「仏教」だ。外儀は仏教のすがたにて内心外道を帰敬せり
の「仏教」だ。
 
死んだ仲間について「じきに向こうでまた会える」と周りに言い、死ぬ直前の者も自分から「じきに会おう」と言う。
要するに
死とは、不滅の魂が住む場所を移動するだけ
と妄想してるので、
 
自分も簡単に死ぬし、
他人も簡単に殺す
 
不滅の魂を信じるとは、
実はそういう非道ひどい事だからだ。
 
むごたらしいのは、
古今東西世界中の
きわめて普通の人々が、
この永遠不滅の魂を、
心の奥底から認めてることだ。
 
それゆえに、
いじめも戦争も
決してなくならない。
 
 
 

 
 
不死永遠の魂を説くのは、
ブッダの教え以外のすべての宗教と哲学だ。
 
ブッダだけが
不死の魂という
根源悪の妄想を
明確に否定した。
 
 
不死永久不滅の魂とは
 
 
のことなので
 
無常・無我
 
を説くブッダの教えと真逆。
絶対に相容れない。
 
 
 


自分は死を超えられないと本当に認めれば、人間は自由になり世界は平和になる
 
ブッダは明解に説いてる。

 

ダンマパダ六偈 (中村元訳)

「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。──このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(My Favorite Songs)
 
(過去記事増補編集再録)