お釈迦さまが生きた世界5(完結)|菩薩のラップバトル――バラモン迷信を徹底論破したジャータカ - YouTube
生き物を殺すバラモンは清浄であり、
殺された生贄も天国に行くなら、
バラモン同士で殺し合えばいい。
という菩薩の言葉は見事です。
真理にあらざる言を、その虚語を
腹肥えすなる彼等が語るそのゆゑに
智慧すくなきはそを信ずべく
賢き者は、自らそれを見破らむ(152)
根本的なことを言えば、
金科玉条であり頼みの綱としている
梵我一如
が、ハナから空言の極みです。
「汝はそれなり」(梵我一如)とは、
永久不滅全能唯一絶対神(大我)と
個々の不死の魂(小我)は一緒
というヒンドゥー教の奥義です。
大我と小我、いずれも我に過ぎず、
それが一如だとて何の意味がある?
妄想2個の串団子!
ブッダはすべての我を虚妄と見抜いた。
梵我一如はブッダの悟りでも教えでもないのです。
ブッダはアートマン(霊魂)を説かなかった。
ブッダは「汝はそれなり」(梵我一如)を説かなかった。
ブッダは梵我一如的なアイデアを思いつけなかったので説けなかった、という立場を、おれはとりません。ブッダは人々が常に陥るこの種の根深い迷妄をよく承知していました。
智慧すくなき人々は、ある種の捏造話を、
証拠が何もないからこそ熱狂的に信じるのです。
それは、なぜでしょうか?
自分たちが抱いてる妄想にフィットするからです。
では、なぜフィットするんでしょうか?
ペテン師達が、私腹を肥やす目的で、智慧すくなき人々の妄想をわけもなく見透かし、妄想におあつらえ向きの与太話を捏造しているからです。
初めからフィットするように作ってあるんだから、そりゃフィットしますよ。なんの不思議もありません。
世界中の聖者のなかで、「アートマン」(=我)は迷いだと明確に否定して、教えの根本に据えたのはブッダだけです。
しかし、この
もっとも偉大な真理(無我)
は、通常の思考パターンの中では理解できない。
世界中のすべての言語は(したがって思考は)
結局のところ
アートマンが神となる構造を持っている
からです。
事実、世界の宗教はほとんど、このアートマンに乗っ取られている。
仏教の中でさえ、アートマン、「汝はそれなり」(梵我一如)は、仏性とか大我とか、智慧すくなき人々の耳に心地よい言葉とともにリニューアルして、ゾンビのように執拗に復活している。
大乗仏教を今だに支配している一大妄想
本来本法性天然自性身
(人間は生まれながら、そのままで仏である)
は梵我一如とおんなじです。
(My Favorite Songs)
Daryl Hall & John Oates - I Can't Go For That (Lyrics) - YouTube
(過去記事統合増補編集再録)