哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

名作映画「怪しい彼女」

ウィキペディア『怪しい彼女』ストーリー
より引用させていただきます。
 

70歳のオ・マルスン(ナ・ムニ)は頑固で世話焼きなお婆さん。マルスンの元奉公人で男やもめのパク氏(パク・イナン)と共にカフェで働くマルスンは、女手一つで育て上げた一人息子の大学教授ヒョンチョル(ソン・ドンイル)、姑恐怖症の嫁エジャ(ファン・ジョンミン)、就職活動そっちのけで音楽に没頭する売れないバンドマンの孫息子ジハ(ジニョン)、就職浪人中にもかかわらず呑気な孫娘ハナ(キム・スルギ)に囲まれ、騒がしい毎日を送っていた。

ある夜、マルスンはふと目に止まった写真館に入り、記念写真を撮影する。店を出たマルスンは、自分が20歳の頃の姿に戻っていることを知って驚愕。写真館に飾ってあったオードリー・ヘプバーンの名前をもじって「オ・ドゥリ」(シム・ウンギョン)と名乗ることにしたマルスンは、若返った姿に戸惑いつつもなんとか生きる術を得ていく。……

 
 

 評判通りの名作。
各国がこぞってリメイクしているのも納得。
 
日本は多部未華子主演でリメイクした。多部はとてもよかったが、トータルではオリジナルに及ばない出来だ。
 
 

 おれはオリジナル韓国版、中国版、日本版、ベトナム版と観た。

これまでいろんな名作のリメイクを見てきて思うのは、オリジナルを超えるのは簡単ではないってこと。

どうしても、なぞってる感が出てしまうからだ。

 

 
 
 
 
 
おれは過去記事で「最近の少女時代とかAKB48とかにはソウルのかけらもない。今や逆にソウルなんか無いほうがいいらしい。
K-POP、J-POPは歌もダンスもみな腹立つほど薄味すぎる」と嘆いたことがある。
この映画を観て、当の韓国でも同じことをおもってる人達がある程度いると実感できた。
ただ、後半クライマックスのステージ客席一体で大受けの曲が相変わらずソウルなしのお子様K-POPなのは、整合性がとれてなくて、どうかとおもったが。 

 

それと、「一刻を争います」って言ってるのに、輸血するまでけっこう長いやりとりするよね(韓国版に限らんけど)わずかな時間も無駄にできないって言ってるんだからね。おれはそういうの、けっこう気になる。作品のリアリティにかかわってくることだから。

 


とはいえ、あやしい彼女ファンとしては、一粒で四度美味しい思いをさせてもらってラッキーだ。

 

当時、インド版、ドイツ版、ハリウッド版等各国でリメイクされる予定との情報もあったが、今どうなってるんだろう。

 

機会があれば、新たなリメイクもぜひ観てみたい。

どこかでオリジナル超えが出るかもしれんから。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  (My Favorite Songs) 
(過去記事統合増補編集再録)