ヴィパッサナー瞑想とアーナーパーナサティを共に勧めるのは矛盾、アーナーパーナはサマタ瞑想だから。という人に。
より引用させていただきます。
(引用終)実際に、自分でやればわかること。
矛盾は何もない。
以下、クムダ・セヤドー法話121113
より引用させていただきます。
[以上引用終。強調はわたしです]より引用させていただきます。
「なにがなんでも生き続けるべきだ。
それを邪魔する奴を、迷わずぶち殺せ。
正当防衛殺人は罪にもならない」
と、こればっかり。
獣となんら変わらない。
(獣の生き方をして「獣になれない私たち」と言うトンチンカン)
獣と同じなら、人間に生まれた甲斐はどこにもない。
願って叶うことならまだしも、生き続けたいという願いは
どれほど代償を払っても絶対に叶うことがないのに。
どれほど代償を払っても絶対に叶うことがないのに。
から
ポイント中の最重要ポイント(サティとビリヤ)
だけ引用させていただきます。
3.サティ(念)
・サティとは、気づくこと、憶えていること。
・アーナパーナ・サティの通り、呼吸に「気づく」こと。
・呼吸が入って、出て行くことに「気づく」こと。
・この気づきが無いと、なかなか続けられないと思います。
・この「気づき」があることで、瞑想になります。
・この気づきが無いと、心が集中できないで、いろいろなところにさまよってしまいます。
・心がさまよってしまいますと、心を集中することが、ますますできなくなってしまいます。
・なので、呼吸が入って、出て行くことに気づいていくことが大事です。
8.ビリヤ(精進:努力)
・瞑想するときも努力(精進)が必要です。努力しませんと、瞑想もうまくできるようにはなりません。
・瞑想で大事なことは、三番目の「サティ(念)」と、この「ビリヤ(精進)」の二つが大事です。
・この二つがありませんと、瞑想を続けることができなくなります。
・ですので、瞑想をするときには、サティ(念)とビリヤ(精進)がありませんと、まずできません。
(My Favorite Songs)
天才、浅川マキ。
「ちっちゃな時から」
「ちっちゃな時から」
(過去記事統合増補編集再録)