哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

思考は瞑想の最強敵

 瞑想の途上において、最も手ごわい敵は思考です。

 

思考は本来無害だが、瞑想者が悪魔にします。

 

瞑想中、思考にほんのわずかの価値も認めず、思考への執着をフリーズさせておきます。

 

さもないと、瞑想に使われるエネルギーは思考に漏れ続け、エネルギー切れで瞑想がエンストし、瞑想者は挫折します。

 

そうならないために、なにがなんでも必要になるのが、苦聖諦の理解です。

 

 

ブッダの教え

 四聖諦を知らずに苦から脱すことはあり得ない

を(HP「ターン・プッタタート の法施図書室」から引用させていただきます。   

 

  

 比丘のみなさん。誰かが「私は家の基礎を造る必要はない。しかし家を建てことができる」と言っても、これは不可能なように、誰かが「私は素晴らしい真実、つまり苦と、苦を生じさせる原因と、苦の消滅と、苦の消滅に至る道を知る必要はない。しかしそれでも私は正しく苦を消滅させる」と言うのは有り得ません。

 比丘のみなさん。誰かが「私は先ず家の基礎を作らなければならない。そうすればその上に家を建てられる」という人は、これは可能なように、誰かが「私が素晴らしい真実、つまり苦と、苦が生じる原因と、苦の終わりと、苦を残らず終わらせる道を知れば、そうすれば正しく苦を終わらせることができる」と言うのはあり得ます。

 比丘のみなさん。だからこの場合、みなさん「これが苦、これは苦が生じる原因、これが苦の消滅、そしてこれが苦の消滅に至る道」と真実のままに知る努力をしなければなりません。

 (引用終)

 

 

 

ブッダは「苦が見える人は、当然苦が生じる原因が見え、当然苦の消滅が見え、当然苦の消滅に至る道が見える」と明言しています。

また、ブッダが一番に苦諦を説いたのにも深い意味があります。

次に集諦、その次に滅諦、最後に道諦という「順序を正しく記憶しなさい」と、ブッダはわざわざ注意しているからです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs) 

ケー・セブン。
「Come Baby Come」

 こういう単純なリズムで押してくる曲を昔から偏愛してます。瞑想とは矛盾するのかな。捨てずに調和させたいんだけど。


K7 - Come Baby Come (Official Music Video)

 

 

(過去記事統合増補編集再録)