哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

苦を溺愛してる人が苦から逃れられるわけない。

ブッダの真理の言葉 中村 元訳)より引用します。

汝の生涯は終りに近づいた。汝は、閻魔(えんま)王の近くにおもむいた。汝には、みちすがら休らう宿もなく、旅の資糧(かて)も存在しない。


だから、自己のよりどころをつくれ。すみやかに努めよ。賢明であれ。汚れをはらい、罪過がなければ、汝はもはや生と老いとに近づかないであろう。


虚空には足跡が無く、外面的なことを気にかけるならば、<道の人>ではない。
造り出された現象が常住であることは有り得ない。

ブッダの真理の言葉18章より 引用終。強調は私です)

 

 

現代人は、原子でさえ常住ではないと認めているが、常の意識は、なお遥か古代人のレベルに止まっている。

不滅の魂(俺は死んでも生きている)を信じているのだから。

そのため、戦争もいじめもなくならない。



 

 

 

 


もろもろの道のうちでは<八つの部分よりなる正しい道>が最もすぐれている。もろもろの真理のうちでは<四つの句>(=四(たい))がもっともすぐれている。


これこそ道である。
(真理を)見るはたらきを清めるためには、
この他に道は無い。
汝らはこの道を実践せよ。これこそ悪魔を迷わして(打ちひしぐ)ものである。


汝らがこの道を行くならば、苦しみをなくすことができるであろう。(棘が肉に刺さったので)矢を抜いて癒す方法を知って、わたくしは汝らにこの道を説いたのだ。



汝らは(みずから)つとめよ。
もろもろの如来
(修行を完成した人)は(ただ)教えを説くだけである。
心をおさめて、この道を歩む者どもは、悪魔の束縛から脱れるであろう。

ブッダの真理の言葉20章より。引用終。強調は私です)


この世のすべては無常であり、
無常は苦であり、
苦は非我である。
ゆえに、
この世のすべては(自分も含めて)我ではない。


 

 

 

 

 

大多数の人々は六識を愛してやまない。

つまり苦を溺愛してるのだ。

苦に夢中の人が苦から逃れられるわけない。

 

六識

眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識









「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。

ブッダの真理の言葉20章より。以上引用終。強調は私です)




DVDを観る
 

明日の記憶秀作

 



 実生活で1週間後に癌摘出手術のため入院する母と一緒に観た。

母は「良い映画だ」と言い大泣き。おれもちょっと泣いた。

(母は手術の後、回復することなく死んだ)

救いが有るようで無い映画だが、そこが良いとおもった。

 

 

(過去記増補編集再録)