おれは過去記事「ある会話」に、こう書いた。
今日のA氏との会話(メモ)
(A氏)「女は自分で産むから自分の子だとわかるが、男はわが子かどうか自分でわからない。女のほうが優位だ」
その後、産院での赤ちゃん取り違えとか、遺伝子検査の話などがひとしきり。
(俺)「いっそ考え方を変えたら。誰の子でもええわ、と」
(A氏)「誰の子でもええわって(笑)」
(俺)「女の上をいこうとおもったら、これしかないよ」
これの再録記事で
(まあ、いざとなるとなかなか思えないだろうけども)
を書き足した。
この
(まあ、いざとなるとなかなか思えないだろうけども)
の部分を描いたのが映画『そして父になる』だ。
(誰の子でもええわ)と思えないのは全ての獣に共通する特徴だ。
それで、オスはメスに自分の子を孕ませるために、自分の遺伝子を持たない前夫の幼子達を躊躇せず皆殺しにしたりする。
獣は仕込まれたプログラム通り動くロボットだから善悪も迷いも罪もない。
人間の本質も99%は獣と共通なのだが、残り1%の理性の力で
(誰の子でもええわ)
と思えるのが人間なのだ。
だから人間にだけ、善悪があり迷いがあり罪がある。
理性的に明らかな正解を受け入れるのが、女は一般的に男より遅い。混乱した感情の整理に時間がかかるからだ。
しかし、
実子じゃないと分かった子をどうするか問題
になると、逆に男の方が女より感情の乱れが収まらないようだ。
ここであまりぐずぐずして理性が働かない獣臭の強い男は、女に人間として軽蔑されてしまうだろう。
(過去記事増補編集再録)