哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

オス臭の強い男は、女に人間として軽蔑される






8年前の記事にこう書いた。
今日のA氏との会話(メモ)
(A氏)「女は自分で産むから自分の子だとわかるが、男はわが子かどうか自分でわからない。女のほうが優位だ」

その後、産院での赤ちゃん取り違えとか、遺伝子検査の話などがひとしきり。

(俺)「いっそ考え方を変えたら。誰の子でもええわ、と」

(A氏)「誰の子でもええわって(笑)」

(俺)「女の上をいこうとおもったら、これしかないよ」
これの再録記事「親子関係不存在確認訴訟」
(まあ、いざとなるとなかなか思えないだろうけども)
を書き足した。

 この(まあ、いざとなるとなかなか思えないだろうけども)を描いたのが映画『そして父になる』だ。

(誰の子でもええわ)と思えないのは人間以外の獣の特徴だ。オスはメスに自分の子を孕ませるために、自分の遺伝子を持たない子を平気で殺したりする。
人間でも再婚相手の連れ子をいじめ殺す最低男(女)が、残念なことに毎年のようにニュースに出ている。

つまり、人間の本質も99%は獣と共通なのだ。

しかし残り1%の理性の力で(誰の子でもええわ)と思えるのが人間なのだ。

理性的に明らかな正解を受け入れるのが、女は一般的に男より遅い。混乱した感情の整理に時間がかかるからだ。
しかし、実子じゃないと分かった子をどうするか問題になると、逆に男の方が女より感情の乱れが収まらないようだ。
ここであまりぐずぐずして理性が働かないオス臭の強い男は、女に人間として軽蔑されてしまうだろう。