哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

一休禅師


一休宗純禅師の言葉(ウィキペディア)。

南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり


いずれもインパクトがある。

親死に 子死に 孫死に 

(これは仙崖が信者にめでたい言葉を書いてくれと請われ「祖死父死子死孫死」と書いた逸話の誤り…)と注記されている。そういえば「死にとうない」も同様の取り違えが起きている。
まあそんなことはどうでもいい。
一休・仙崖両和尚がこういう変人的言動によって射抜いているマトに気づくことが肝要だとおもう。
このたぐいの事は他人が教えることはできない。自分で沈思黙考して気づくほかはない。

「親死に 子死に 孫死に」と聞いて「そんなのあたりまえじゃん」と言う。自分に嘘をついているから死ぬ直前まで何も気づけない。
それならいっそ最期までまったく気づかずに逝けばいいものを、どんなぼんやりでも、さあいよいよ死ぬという時にはちょびっと気づいてしまう。しかも自分は昔から気づいていたと気づいてしまう。この手遅れ感はなかなかキツイ。


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