昨夜、意味なく遅くまで起きていた。今朝10時過ぎ起床。
いつもなら目覚めるとすぐ尿意があり、まずトイレに行くのだが、今朝はそれがない。
「チャンス!」とおもい、そのままベッドの中でただちに瞑想を試みた。
目覚ましをかけず寝たいだけ寝た後なので、ベッドの中でも居眠りする心配はない。
いつも枕元においてあるタイマー(100均で買ったクッキングタイマー)のスタートボタンを押し「膨らみ、縮み、膨らみ、縮み」……目覚めてすぐの瞑想は雑念がほとんど湧かず入りやすい。(トイレにたつだけで、その入りやすさは半減する)
30分終了。もう1度30分。調子がいい。
もっと続けたかったが、買い物に行く用事があるのでそこで止める。
外へ出て動きまわっても、瞑想の余韻が少し残っているのがわかる。
今だけがクリアで、その前後が希薄な状態だ。
雑念は湧くのだが、自分と雑念に距離があり、空吹く風のようで気にならないのだ。
胸の奥のほうに不思議な心地よさがある。
前後が完全になくなれば、もっとさっぱりした気分(
その心地よい余韻も、買い物を終えた昼すぎには感じられなくなった。
帰宅後、風呂。出た後、瞑想。
※「廓然無聖」
達磨大師の言葉。秋晴れの空のように広々と澄み切って何もない様子。
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※ヴィパッサナー実践
http://www.j-theravada.net/pali/key-vipassana.html