たとえば『歩くヴィパッサナー』について。
歩き出そうと思った後、歩行時に「右足上げよ」「出せ」「下ろせ」「左足上げよ」「出せ」「下ろせ」といったパターン命令は大脳がいちいち出してない。
脳幹を通して自動プログラムが働いてる。
そのオートマトン運動に対して、あえて「(右足)上がります」「出ます」「下ります」「(左足)上がります」「出ます」「下ります」と逐一大脳でトレースする作業が『歩くヴィパッサナー』だ。
この不自然な確認は、人間以外の全ての生きとし生けるものにとってはまったく無理で無駄で無意味だ。
ところが、人間にだけは実行可能であり、きわめて有益であり、大いなる意味があり、偉大な行為だとおもう。
※サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。
※ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること。
(My Favorite Songs)
「ダンシング・ロンリー・ナイト」
中学生のころは、こういう曲が大好きでした。
さすがに今はねえ…でもやっぱり懐かしさはある。
さすがに今はねえ…でもやっぱり懐かしさはある。
The Jaguars - Dancing Lonely Night, 1967
(過去記事再録)