哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

呼吸の快感のもやもやした苦しさ(一切皆苦)

 


呼吸が苦しみだと実感できた時のメモ。


 外気を吸い込む時、始めのうちは心地よさがある。
しかしこの心地よさは錯覚だ。
吸いきった時、その「心地よさ」は完全に消え、なんともいえないもやもやした苦しさが現れるからだ。
苦しさに耐え切れず息を吐く。
吐く時は吸う時ほどの「心地よさ」はない。しかし苦しみはひとまず薄れていく。
吐ききった時、再びあのもやもやした苦しみが現れる。
苦しさに耐え切れず息を吸う。
(最初に戻る。この繰り返し)

 

 


ヴィパッサナーは
「さとりたい」と思ってやる者より「この苦しみを無くしたい」と思ってやる者のほうがずっと早く成長する

と、説かれている。

おれが以前からひかれていた浄土系の、厭離穢土を強調するアプローチは、その意味で正しいのだと思う。

ともかく、日常世界の強固な錯覚妄想を排して、呼吸が苦しみであるという事実の実感を大切に守り、この苦しみから逃れようと一心不乱にヴィパッサナーを続けるしかない。







サティ

「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (My Favorite Songs)

小柳徹

「俺あ三太だ!」

子供時代のテレビ主題歌は、今聞くと「なんじゃこりゃ」という曲ばかりだ。しかし「おらあ三太だ!」「♪お~らはおとおにちょっぴり弱い」…無意味な鮮明さで覚えているなあ。


三太物語

 

(過去記事再録)