ふだん我々は妄想で生きてるんです。…
貪瞋痴の刺激でゴミをかき回してるだけ。…
感覚を喜ばして生きてるだけ。
無始なる過去から、心が欠陥のプログラムで動いてるんですよ。…
生まれてきた人間にとっては、どんな人間であろうとも、この思考妄想を止めて「気づき」でいる瞬間だけダイヤなんです、宝石なんです、宝物なんです。ほかゴミ。
行住坐臥、目覚めてるかぎり、常に「気づき」を失わずいること。
これがブッダの教えの中心にある。
「気づき」が抜け落ちれば、その時の自分は死ぬ。気づきを保持すればその間だけ正に生きてる。
「気づき」だけが真実の本物の自分だという発見!
ブッダが「死者のごとくである」と断じたのは正に気づきのない人間の状態のことをいってる。真実の本物の自分がいない抜け殻状態だから当然死人に等しい。
ヴィパッサナー実践の成就には、片時でも気づきなしでボーッとするのは死に匹敵する恐ろしいことだという切実な感覚を養うことが必要だ。
サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。
ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること。
(My Favorite Songs)