ダンマパダ160偈、自分のご加護しかない - YouTube
有名な中村元訳だとダンマパダ160偈は
自分こそ自分の主である。
他人がどうして(自分の)主であろうか?…
となってる。
中村先生は平易流麗な訳文を作る天才だが、それゆえに読者のほうでよほど注意しないと、ブッダの偈の深い意味をスルーして、常識的理解で満足してしまいがちだ。
自分こそ自分の主である。
他人がどうして(自分の)主であろうか?
は、
自分には、自分のご加護しかありません。…
と、こなれない直訳で示されると、
読みにくい変わりに、真の意味が顕れる。
自分を守ってくれるのは神でも弥陀仏でもない。
どんな他者でもない、良く整えられた自己だけが
自分を加護してくれる。
という尋常ならざる深い意味が顕れる。
(フルッレイ・スダンマ長老)
自分には自分しかありません。……
周りの人たちの影響で
自分の心が汚れます
というのは佛教ではありません。
(以上)
たとえ社会全体が狂って、自分の周りも悪人と愚人だけで、その影響で強圧的に悪事に加担させられた場合でも、その悪行為をやると実際に決めたのは自分以外ないのだから、この悪行為の悪結果は必ず自分が受けますというのが佛教の教えです。自分の心を汚すのも清めるのも、すべて自分次第です。どんな他者のせいにもできないのです。
自分には、自分のご加護しかありません。
とは、そういう意味でもあります。
これはブッダの発見した絶対真理であって、自力とも他力ともいえません。そんな浅はかな話じゃない。
(My Favorite Songs)