哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

プットー瞑想と就眠前の諦念

サマタ瞑想【実践ビデオ】 スカトー寺副住職 プラユキ・ナラテボー | DANAnet ダーナネット より引用させていただきます。(このサイトにある、プラユキ師の簡潔な動画3本を観てください

(引用開始)

プットー瞑想【解説編】

「プットー(budho)」とは、「ブッダ」のタイ語形です。

ブッダ」の名前を心で念じながら呼吸をする瞑想法です。

(引用終)

 

 

「プー」で息を吸い「トー」で吐きます。

日本語「ブッダ」でやるより、

タイ語「プット―」が、やりいいです。

ブッダに心から帰依する人なら、訳なくできます。

 

プットー瞑想【実践編】

 

瞑想が安定段階に達したら「プット―」の唱えごとを外して、

純一な呼吸の観察(サティ)だけをします。

 

 

 

(引用開始)

雑念が生じてきた時の対処法

集中系の瞑想をしていても、瞑想中に色々な考えごとが生じてくるかもしれません。その時に、「考えごとをしてしまった」、「雑念を生じてしまった」、「妄想してしまった」と心にうかぶ想念を否定する必要はありません。考えごとが生じてきたら、その考えごと、今、心の中に起こっていることをあるがままに受け止めます。

そして、また呼吸の方に、注意を戻していきます。 特に思考などが湧いて来なければ、ただ呼吸に気づいていきます。もし思考やイメージ、フッと過去の記憶が蘇ってきて、その想念にとらわれているならば、それに気づいてください。そして受け止めてあげて、また、息の方に注意を戻します。

「無」になるのが目的ではありません。何も考えない状態でも、気づいている状態であって結構です。また何か、心にフッと湧いてきたら、それもただあるがままに受け止めてあげます。(引用終)

 

おれは、何度も何度もくどく書いてますが、

苦聖諦の体得から生じる特別なエネルギーなしに、

サティの実践はできません。

 

苦聖諦を体得するためには、眠る前のリラックスが効果的だとおもいます。

眠る前の瞑想 - YouTube

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サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。

ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

【リクエスト和訳】“僕はいつだって強者だ” Bang Bang / K’Naan ft. Adam - YouTube

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