哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

感動の名作「湯を沸かすほどの熱い愛」

以前紹介した感動作「湯を沸かすほどの熱い愛」が今

GYAO!で無料視聴できます。3月24日(木)まで

湯を沸かすほどの熱い愛

 

ウィキペディア『湯を沸かすほどの熱い愛』【物語】
より引用させていただきます。

夫の一浩とともに銭湯を営んでいた双葉は、夫の失踪とともにそれを休み、パン屋店員のバイトで娘の安澄を支えていた。ある日職場で倒れた彼女が病院で検査を受けると、伝えられたのは末期ガンとの診断であった。2~3カ月の余命しか自分に残されてはいないと知り落ち込む双葉だったが、すぐに残されたやるべき仕事の多さを悟り立ち上がる。

まずいじめに悩み不登校寸前に陥った安澄を立ち直らせ、級友たちに言うべきことを言えるようにさせること。そして行方不明の一浩を連れ戻し、銭湯を再度開店するとともに家庭を立て直すこと。双葉は持ち前のタフさと深い愛情で次々と仕事をこなし、一浩とともに彼が愛人から押し付けられた連れ子の鮎子をも引き取って立派に家庭を立て直した。その上で、彼女は夫に留守番をさせて娘たちと旅に出る。彼女の狙いは、腹を痛めて得た娘ではない安澄を実母に会わせることだった。道すがら出会ったヒッチハイク青年拓海の生き方をも諭し、義務を果たそうとした双葉だったが、やがて力尽きて倒れる。だが、彼女の深い思いは家族たちを支え、そして拓海や、安澄の実母・君江、夫の調査に当たった子連れの探偵・滝本の心にも救済をもたらすのだった。静かに眠りについた彼女に導かれるように、新たな繋がりを得て銭湯で行動しはじめる人々。彼らを見守る双葉の心が、煙となって店の煙突から立ち上った。

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『湯を沸かすほどの熱い愛』

という超ダサイ題名が、

最後にキラキラ輝く。

 

 

それとは別におれ的には、おそらくほとんどの人がスルーするだろう次のシーンに感動した。

 

 

死んだ妻のことを探偵の滝本は娘マユに「ママは天国に行ったけど、また会えるよ」と噓を言ってた。

しかし、物語の終盤で滝本はマユに

「人は死んだら二度と会えなくなる。だからもうママには会えない。…ごめんな、ずっと嘘をついてて。…やっとパパ、マユにほんとのこと言えたわ」

シーンだ。

 

 

実はこの数日前、おれはキリスト教系の宣教者に、


死んだ家族に会いたくないか


と訊かれ
「死んだ人がどこかで生きてるとかいう話はあほらしくて聞いてられない」とおれ。
「でも仏教ってそう教えてるんでしょう?」と宣教者。
「違います。今の仏教は堕落してるんですよ。キリスト教と一緒です」と答えて相手をすっかり白けさしたばかりだったので、よけいこのシーンに敏感に反応したのかもしれない。

死んだ人が天国に引っ越すだけと思うなら、人間は死をまったく認めていないのだ。


だから
この世界には自由も平和もない。その反対に陰湿ないじめと残酷な戦争が常にある。


ブッダ


人間が自分は死ぬ定めだと本当に認めれば、人間は自由になり世界は平和になる。


と明解に説いている(『ダンマパダ』六等 参照)

(このことを書いた過去記事を以下にコピペしておきます)

 

 スマナサーラ長老の法話「常に観察すべき五つの真理」

から引用させていただきます。


私たちはあまりにも大きな勘違いをしています。世の中の理屈は、矛盾だらけなのです。 世界では昔から戦争が絶えず起こっていますし、多くの人たちはこのように考えているようです。「テロリストが爆弾を落としたらどうするのか。ほうっておけば我々が殺されてしまうのではないか。やっぱり殺される前に、相手を殺さなければならない」など、そういう気持ち悪い哲学ばかりが世の中にあります。殺しを、とにかく正当化しているのです。

 
 なぜ殺しを正当化するのかといいますと、それは「自分が生きるべきだ」という前提があるからです。しかし、どんな生命も、どんなに踏ん張っても、生き続けることはできません。誰でも最終的には必ず死ぬのです。
 このことを理解することが、真の智慧であり、真の理性です。生きることは当てになりません。死こそが確実なものなのです。「なんとしてでも生きるべきだ」と、そんなこと言っている場合ではないのです。

 
 もし、世界中のすべての人々が「自分は死ぬものである」ということを本当に理解したなら、世の中から罪や悪はすっかり消えてなくなるでしょう。だからといって全世界を相手にして教えを説いても意味がありませんから、仏教は一人ひとり個人に向かって教えています。「死ということを理解してみてください。そうすれば、あなたは悪い行為をすることがなくなるでしょうし、道から外れることもないでしょう。それで苦しみがなくなって、完全に守られますよ」と。

 
 これは、世の中にあるような偉ぶった思想ではありません。世界には「汝、生命を愛しなさい。誰かがあなたを殺そうとしても、あなたはその相手を殺してはならない。赦しなさい」などといった思想もありますが、これには少々傲慢な気持が含まれていますから、周りの人から見れば、なんかイヤな人だなあと思いたくもなります。

 
 そうではなく、お釈迦様がおっしゃったように、「生きているものは誰でも死にます。私も必ず死にますよ」と観察するなら、自分を殺そうとしている相手を殺す気にもなりませんし、傲慢になることもありません。見栄を張ることも、威張ることもなく、謙虚に、正しく生きていられるのです。

 
 お釈迦様は、人々が道から外れないようにと考えて、「私は死ぬものである。死を乗り越えていない」と観察してくださいと説かれました。
 ここで、お釈迦様のお考えがよくおわかりになると思います。途轍もない慈しみと深いあわれみをもって、私たちが間違った道に行かないように、正しい方向へと導いてくれているのです。道から外れないよう、そのお守りを教えてくれているのです。

[引用終。太字強調はわたしです。]

 
 
そんなこと

言っている場合ではないのですこの「気づき」このジャンプ
がないと、話は見えないだろうな。

 
 
 真昼の煌煌たる太陽のような明々白の事実なのに、大多数の人々は、そのあまりの眩しさに目を本能的にそらせる。死をあの世に引越すことだと共同幻想し、生涯一瞬たりとも死の事実を直視しない。

 
人間が自分は死ぬ定めだと本当に認めれば、人間は自由になり世界は平和になるとブッダは明解に説いている。

 
しかし大抵の人間は、自分が死ぬ定めだと認める恐怖から意気地なく逃げて「自分に死などありえない」という我有妄想に昔も今もとりつかれている。だから自我の牢獄から自由になれず、世界中で殺し合いが止むことがない。殺す者と殺される者が、同じひとつの愚かな妄想を共有して仲のいいこと。これで殺し合いだけ止めたいなんて無理無理。

 
もう一度、 「常に観察すべき五つの真理」から、最終部分を引用させていただきます。

 

‘‘Byādhidhammā jarādhammā, atho maraṇadhammino;

Yathā dhammā tathā sattā, jigucchanti puthujjanā.

‘‘Ahañce taṃ jiguccheyyaṃ, evaṃ dhammesu pāṇisu;

Na metaṃ patirūpassa, mama evaṃ vihārino.

‘‘Sohaṃ evaṃ viharanto, ñatvā dhammaṃ nirūpadhiṃ;

Ārogye yobbanasmiñca, jīvitasmiñca ye madā.

‘‘Sabbe made abhibhosmi, nekkhammaṃ daṭṭhu khemato;

Tassa me ahu ussāho, nibbānaṃ abhipassato.

‘‘Nāhaṃ bhabbo etarahi, kāmāni paṭisevituṃ;

Anivatt bhavissāmi, brahmacariyaparāyaṇo’’ti.

 
(生命には)病と老いの本質があり、

 また死の本質があります。
 本質のごとく、生命は生きています。
 この本質を、世間の人々は厭い嫌います。
 しかし、たとえ厭い嫌っても、
 これが生命の本質なのだから、
 結局はそうなります。

 
 ゆえに、それを厭い嫌うことは、

 ふさわしいことではありません。
 そこで、常に法を観察して生きるなら、
 無執着の真理を了知して、健康にたいする酔いと、
 若さにたいする酔いと、

 命にたいする酔いがなくなります。
 一切の酔いを乗り越えます。
 すべてのものから離れること、

 それこそが安穏であると見て、
 涅槃を目指し、精進を起こします。

 
 今の私には、俗世間に戻り、

 欲を喜ぶことはできません。
 私は逆戻りしない道に入りました。
 修行を完成する道に入りました。
     

 (了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

B・J・トーマス
「雨に濡れても」

 
雨に降られたくらいでなんとなく憂鬱になったり
…そういう「自然な感情」からいいかげん自由になりたい。

Butch Cassidy and the Sundance Kid • Raindrops Keep Fallin' on My Head • B.J. Thomas - YouTube

 

 

(過去記事統合増補編集再録)