哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

「我」は失敗してしまうプロジェクト

 以前の記事「第一歩さえ踏み出せば、後は一本道になる」で、
 人生の問題を解決する唯一の方法は、幻想を捨てて事実を受け入れることだ。
事実を受け入れることは問題解決の第一歩に過ぎないが、少なくとも確実にいえるのは、これ以外の方法では問題解決が不可能になるということだ。

誰でも死ぬから、人生は無意味だ。
これは疑いようのない明白な事実だ。

しかし「死んでしまうんだから人生に意味無し」と口に出せば、世間で馬鹿扱いされるのがおちだろう。世間は問題解決の第一歩が怖くて踏み出せなかったので、みんなで共同幻想に逃げ込んだからだ。
と書いた。

では、みんなと一緒に幻想に逃げず、只一人事実を直視すると、なにに気づき、なにが見えてくるか。
「我」というのは、最終的には失敗してしまうプロジェクトだと気づく。そして「我」が実は怪しいものであることが見えてくる。
これは曹洞宗僧侶の藤田一照さんが、
クラブ・ウィルビー緊急インタビューで教えてくれていることだ。
以下その部分を引用する。

そもそも「我」というのは、いつかはなくなってしまうじゃないですか。
「我」というのは、最終的には失敗してしまうプロジェクトなんです。
だっていつかは必ず死んでしまうんですから。


仏教では「四苦」という四つの苦しみをあげています。
まず、みんな覚えていませんが「生まれることの苦しみ」。
そして「歳を取ること」「病気になること」「死ぬこと」です。
この四つは、いずれも「我」というプロジェクトを脅かすものですね。
だからみんな、もっと若くありたい、健康でいたい、生きていたいと願います。
ところが「我」の消滅は避けられない。
科学の力で少しは引き延ばすことはできるかもしれませんが、
それでも急な事故であっさり死んでしまうこともあります。

ただし「我」から見れば「四苦」はネガティブなものなんですが、
仏教的にいうと、「我」が実は怪しいものであることを教えてくれる
わけです。
[以上引用終]

ここに気づいた瞬間の驚嘆が想像できるか?
この目の覚めるような発想の逆転は、事実を直視した勇気ある者だけに起こる。