あらゆる生命は苦しみに会うと、本能的にその苦しみから離れ遠ざかる。
そのようにプログラムされている。
しかし、それは一時しのぎでしかない。
ブッダは「この世界は一切皆苦である」と道破している。
一切皆苦の世界の中で、ひとつの苦しみから離れ遠ざかるということは、別の苦しみにそれだけ近づくことを意味する。
ひとつの苦しみから離れ遠ざかると、確かに苦しみが減るので、その分だけ「快」を感じるが、別の苦しみに近づくことによって確実に増えている苦がある。
そこに生じるタイムラグを使った、本能プログラムの単純なトリックに手もなくだまされて「人生楽ありゃ苦もあるさ」「苦あってこその楽なり。ゆえに苦は我が楽の一部なり」などとうそぶく。
プログラムに従って、苦から苦へ渡り歩くことに夢中になっている人は、当然苦しみから逃れることはできない。
では、どうすればいい?
あらゆる生命の中で、動物本能に逆らって行為する(可能性を持つ)のは人間だけだ。
人間は、この能力を正しく行使しているか?
本能プログラムに真っ向から逆らう行為であるヴィパッサナー実践には、曠劫より骨身に滲み込んだ獣性が全力で歯向かってくる。あらゆる困難も当然と覚悟してかからなければならない。
※
(My Favorite Songs)
高橋竹山。
「岩木」
高橋竹山。すごい人だったなあ。
ついでに「弥三郎節」も。
「じょんから節」「よされ節」等は万人が認めるすばらしい津軽民謡だけど、おれが好きなのが津軽五大民謡に入ってない「弥三郎節」。昔持っていたレコードは津軽三味線にのせた威勢のいい歌いっぷりで、そういうのを探したけど無かったので、三橋美智也さんの歌で。
「じょんから節」「よされ節」等は万人が認めるすばらしい津軽民謡だけど、おれが好きなのが津軽五大民謡に入ってない「弥三郎節」。昔持っていたレコードは津軽三味線にのせた威勢のいい歌いっぷりで、そういうのを探したけど無かったので、三橋美智也さんの歌で。
嫁いびりを終始傍観する亭主を歌った救いのない暗い歌なのに、曲自体に不思議な生命力がみなぎっている。
(過去記事統合増補編集再録)