哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

楽を求めて苦から苦へ夢中で渡り歩く人は、当然苦から抜けられない


 あらゆる生命は苦しみに会うと、本能的にその苦しみから離れ遠ざかる。
そのようにプログラムされている。
しかし、それは一時しのぎでしかない。


 ブッダは「この世界は一切皆苦である」と道破している。
一切皆苦の世界の中で、ひとつの苦しみから離れ遠ざかるということは、別の苦しみにそれだけ近づくことを意味する。

 ひとつの苦しみから離れ遠ざかると、確かに苦しみが減るので、その分だけ「快」を感じるが、別の苦しみに近づくことによって確実に増えている苦がある。
そこに生じるタイムラグを使った、本能プログラムの単純なトリックに手もなくだまされて「人生楽ありゃ苦もあるさ」「苦あってこその楽なり。ゆえに苦は我が楽の一部なり」などとうそぶく

プログラムに従って、苦から苦へ渡り歩くことに夢中になっている人は、当然苦しみから逃れることはできない。




 では、どうすればいい?




 あらゆる生命の中で、動物本能に逆らって行為する(可能性を持つ)のは人間だけだ。

人間は、この能力を正しく行使しているか?



 本能プログラムに真っ向から逆らう行為であるヴィパッサナー実践には、曠劫より骨身に滲み込んだ獣性が全力で歯向かってくる。あらゆる困難も当然と覚悟してかからなければならない。


j-theravada.net





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)  

 高橋竹山

「岩木」

 

高橋竹山。すごい人だったなあ。

 


1974年高橋竹山50周年青森ライブより 即興曲「岩木」

 

 

ついでに「弥三郎節」も。
「じょんから節」「よされ節」等は万人が認めるすばらしい津軽民謡だけど、おれが好きなのが津軽五大民謡に入ってない「弥三郎節」。昔持っていたレコードは津軽三味線にのせた威勢のいい歌いっぷりで、そういうのを探したけど無かったので、三橋美智也さんの歌で。

 

嫁いびりを終始傍観する亭主を歌った救いのない暗い歌なのに、曲自体に不思議な生命力がみなぎっている。


三橋美智也の 弥三郎節 〈青森〉

 

(過去記事統合増補編集再録)