哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

人生にはもっとやるべきことがいくらでもある?




 ブッダは「呼吸を整える思念」を修行せよと説いた。
呼吸を自然のままにして、いろわず、ただそれを意識し続ける修行。





 呼吸を意識することは簡単だ。頭の善し悪しには関係ない。
およそ生きている人間でごくごく簡単な言葉の意味を理解できる程度の頭脳の持ち主なら誰でもできる。

ところがこの簡単なことをやる者はほとんどいない。かってほとんどいなかったし、今もほとんどいないし、これからもほとんどいないだろう。

ちょっとやってみる者は多いが、やり抜く者がいないのだ。
たいてい5分以内に


人生には、こんなあほなことより、他にもっとやるべきことがいくらでもあるじゃないか。


と思い、あっさり止めてしまう。

 

こうして、無始曠劫よりこのかた動物本能にそう思わされて繰り返す果てない生死を、今回もまた繰り返すのだと気づかない。

気づかないから、この言語を絶する苦しみを厭う気すら起きない。

苦しみを厭わない自分たちを互いに励まし褒めあっている始末だ。
酔ひもさめぬさきになほ酒をすすめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすすめんがごとし
親鸞聖人御消息)








 今、ここ、で現実に確実に息をしているものの、はく息すう息を意識し続ける。

息を注意深く隙間なく意識して「(息が)入る、入る、入る」「止まる」「出る、出る、出る」「止まる」を繰り返す。ひたすら意識することを繰り返す。雑念は切らずに無視する。
ヴィパッサナーとは微妙に違うかもしれない。

 調息とはいうけれど 呼吸を調えようと努力してはいけない。
そんなことをすれば調息にならない。
ただ呼吸を意識するだけでよい。それだけが調息を可能にする。

しかし実際にやってみた感じでは、自然に呼吸するのをそのまま意識し続けるのは不可能だと思う。

呼吸を意識することと、意識的に呼吸することとの違いは微妙だ。おれはこの微妙な違いをはっきり知ることができない。
できないままやり続ければいいのだと思う。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs) 

 

平尾昌章(昌晃) 。
「星は何んでも知っている」

歌が上手いわけでも演奏が優れているわけでもないのに、不思議に完成されてる。ハマルってこういうこと。 


星は何でも知っている[平尾昌晃] - Hoshi wa Nandemo Shitte Iru [Hirao Masaaki] (1958)

 

(過去記事統合増補編集再録)