哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

自分の宗教を愛していても他宗教を尊敬せよ

マザーテレサ 日々の言葉 いなます みかこ訳」9月3日のことばより引用します(青文字部分)

   この世界における核弾頭の存在は国家間に恐怖と不信を引き起こしています。

 
という切迫した状況下で真に恥ずべきは、宗教間でいつまでも咎めあって分裂していることだ。

宗教間の融和を「生ぬるい」と断じて「口から吐き出」していたら、こんにちの世界は破滅する。
それは黙示録の成就なんかじゃない。

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ヨハネの黙示録」より

ラオデキヤの教会に与えられたイエスキリストからの言葉として、ヨハネ
「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう」(第3章15~)
と書いている。


この人たちは、三大宗教が深奥において共通する唯一の「宗」だと理解する規範がないので、かえって融和的なものすべてを「熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるい」ものと断じ「口から吐き出」してしまう。
信仰aと信仰bは互いに敵対排斥衝突するのが大方の常となる。

 

 

 

 

 

 

 同じく「マザーテレサ 日々の言葉」4月24日のことばを引用します。

 

 

 

 

 

  私はすべての宗教を尊敬していますが、

  私は自分自身の宗教を愛します。

  人々が、私たちの愛の行いによって

  より善いヒンズー教徒、より善いイスラム教徒、

  より善い仏教徒になるならば、

  そこには何かが育ちつつあるのです。

  彼らは神に、よりいっそう近づいているのです。

  彼らがほんとうの神に近づいた時、

  その時が彼らの選択の時なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでいい。
それでキリスト教徒やイスラム教徒が他宗教と仲良くできるなら。
善いキリスト教徒がそう思うように、善いヒンズー教徒、善いイスラム教徒、善い仏教徒もまったく同じように思っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おまけ)

いわずと知れた「静かなるビートル」
ジョージハリスンの名曲です。

 

精根尽き果てかけた状態から静かによみがえってくる感じが良いね。

 

 

 

 

 

 

 

 

ついでにニーナ・シモンのカバーも。








 

(過去記事統合増補編集再録)